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眞白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に 捧げまつらん 胸と心 ボ一トは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も 小さき腕に 力もつきはて 呼ぶ名は父母 恨みは深し 七里ヶ濱邊 み雪は咽びぬ 風さえさわぎて 月も星も 影をひそめ み霊よ何処に 迷ひておはすか 帰れ早く 母の胸に み空にかがやく 朝日のみ光 闇にしづむ 親の心 黄金も寶も 何しに集めん 神よ早く 我も召せよ 雲間に昇りし 昨日の月影 今は見えぬ 人の姿 悲しさ余りて 寝られぬ枕に 響く波の 音も高し 帰らぬ浪路に 友よぶ千鳥の 我も恋し 失せし人よ つきせぬ恨みに 泣く音は共々 今日もあすも かくて永久に ![]() 明治43年1月23日(日曜日)午後1時30分頃、神奈川縣鎌倉と江の島の中間七里ヶ濱の荒磯に於いて逗子開成中學校所有のボ一トが沈没し、乗ってゐた12名の少年は皆溺死した。 その人々の名と年齢は、 逗子開成中學校 5年生 牧野文雌(23)笠尾虎治(22)徳田勝治(21)木下三郎(20) 小堀宗作(20)宮手登 (18) 4年生 松尾寛之(19)谷多操 (18) 2年生 徳田逸三(17)奥田義三郎(15)内川金之助(年不明) 逗子小學校児童 徳田武 (11) 以上で、徳田姓を名乘る勝治、逸二、武の3人は兄弟であった。此の12名は1月23日の朝9時30分中學校のボ一トを三浦郡田越村字堀の内の海岸から乘り出した。朝から天候不穏だったので其の時海洋で演習をしてゐた田越村の消防夫たちは中止をすヽめたが、聞かずに江の島さして漕ぎ出したのである。午後に到って風が強くなり波が高くなってついにボ一トは七里が濱の沖で沈没してしまった。 七里が濱は難所して知られ、その海洋へ泳ぎつかうとすると強い底流のために東方に流される。 だから少年達は海岸へ泳ぎつく事が出來なかったのだらう。 少年たちのうち木下三郎は二本の櫂を持って小坪の海洋(鎌倉と逗子の間)まで泳いで來たが陸地に達せずして人事不省となり小坪の漁夫2名に救はれたが蘇生しない。漁夫たちは急いで學校へ報告する。 校長田邊氏は直に救助に向ひ、横須賀警察からは署長吉警視自ら20名の巡査を率ゐて現場に急行し、22隻の漁船に200名あまりの漁夫を乗せて屍体捜索に向かった。 24日午後横須賀鎮守府からは駆逐艦、吹雪、霞の2隻が派遣された。 21日午後には畏くも葉山に御避寒中の皇太子殿下(大正元天皇)騎馬にて海洋へ御微行あり捜索隊の行動を望見あらせられたのみならず居合せた生徒に種種御下問あった。 25日正午頃七里が濱の沖で始めて 2人の少年のしたい屍体が発見された。 制服着用爪の徳田勝治が。飛白(かすり)の綿入に外套を着した弟武治を確かりと抱きしめたまま死んでゐるのだつた。當日午後なほ2名の死体を発見した。 26日は激しい風雲。27日には逗子葉山村民は皆休業して捜索に赴き、横須賀からは水雷艇7隻が出動した。さうして残る7名の死体を全部七里ヶ濱沖合で発見した。27日の午後5時、逗子延命寺で哀悼の式が行はれ、其の時此の歌が鎌倉女學校の最上級生(4年生)に依って合唱された。 作詞者三角錫子刀自は鎌倉女學校の教諭で、逗子に住んで居り、此の事件を目撃した。 此の曲は when we arrive home と云ふ題のアメリカの曲で garden と云う人の作である。これが「昔のわが宿変わらぬふるさと」と云ふ訳詞によってひろく女學校などで欧はれ、常時最も愛好された旋律であった。この歌詞は「哀悼の歌」と題せられて雑誌「月刊楽譜」に出てゐたものである。単行本はその後に出版され、大正7年頃からは演歌となって巻間に流布したが、歌詞も変へられ、曲は短調になってしまった。
風紀名門の子女に恋するを 純情の恋と誰が言う
路頭に迷う女性に恋するを 不純の恋と誰が言う 雨降らば降るがよい 風吹かば吹くがよい 泣いて笑って月下の酒場に こび売る女性は 水蓮の如き純情あり 酒は飲むべし百薬の長 女は買うべし人生無上の快楽 幼少美女の膝枕に快楽の一夜明ければ 夢もなしまた金もなし 砕く電剣握る美林 のぞくコンパス六分の儀 ああ我山行 渡鳥 いざ唄わんかな 蒙古放浪の歌を 心猛くも 鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど 母を見捨てて 波越えてゆく 友よ兄等と 何時亦会はん 波の彼方の 蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ 胸に秘めたる 大願あれど 生きて帰らむ 希みはもたぬ 砂丘を出て 砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路 明日も河辺が 見えずば何処に 水を求めん 蒙古の砂漠 朝日夕日を 馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を 大和男の 血潮を秘めて 行くや若人 千里の旅路 負はす駱駝の 糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば 砂の逆巻く 嵐も何ぞ やがては越えなん 蒙古の砂漠 水産放浪歌 富貴名門の女性に恋するを 純情の恋と誰がいうぞ。 暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋をするを 不情の恋と誰がいうぞ。 雨降らば雨降るもよし 風吹かば風吹くもよし 月下の酒場にて媚を売る女性にも 純情可憐なる者あれ。 女の膝枕にて一夜の快楽を共に過さずんば 人生夢もなければ恋もなし。 響く雷鳴 握る舵輪 睨むコンパス六分儀 吾等海行く鴎鳥 さらば歌わん哉 吾らが水産放浪歌 心猛くも 鬼神ならず 男と生れて 情はあれど 母を見捨てて 浪越えてゆく 友よ兄等よ 何時また会わん 朝日夕日を デッキに浴びて 続く海原 一筋道を 大和男子が 心に秘めて 行くや万里の 荒波越えて 波の彼方の 南氷洋は 男多恨の 身の捨てどころ 胸に秘めたる 大願あれど 行きて帰らじ 望みは待たじ
岸打つ波の 音高く 夜半の嵐に 夢さめて
青海原を ながめつつ わが同胞(はらから)は 何処ぞと 呼べど叫べど 声はなく たずねさがせど 影はなし うわさに聞けば 過る月 二十五人の 同胞は 旅路を急ぐ 一筋に 外国船とは 知りつつも 航海術に 名も高き イギリス船と 聞くからに ついうかうかと 乗せられて 波路もとおき 遠州の 七十五里も はや過ぎて 今は紀伊なる 熊野浦 名も恐ろしき 荒波に 乗り出でたるぞ 運のつき 折りしも雨は 降りしきり 風さえ添えて 凄まじく 渦巻く波を 巻きあげて われを目がけて 寄せ来たる かすかに見えし 灯台の 光もいつしか 消えうせて 黒白も分かぬ 真の闇 水先はかる 術もなく 乗合人も 船人も 思案にくるる 瞬間に 岩よ岩よと 呼ぶ声の マストの上に 聞こゆれば あわやとばかり 身をかわす いとまもあらで 荒波に 打ち流されて 衝突の 一声ぼうと とどろけば 流石に堅き 英船も 堪えも果さで 打ち破れ 逆巻く波は 音高く 機関室へと ほとばしり 凄き声して 溢れたり 斯くと見るより 同胞は 互いに救い 救われて みな諸ともに 立ち上がり 八州船の 救いをば 声を限りの もとむれど 外国船の 情けなや 残忍非道の 船長は 名さえ卑怯の 奴隷鬼は 人の哀れを 外に見て 己が職務を 打ち忘れ 早や臆病の 逃げ仕度 その同胞を 引きつれて バッテーラへと 乗り移る 影を身送る 同胞は 無念の涙 やるせなく 溢るる涙を 押し拭い ヤオレ憎き 奴隷鬼よ 如何に人種は 違うとも 如何に情けを 知らぬとも この場をのぞみて 我々を 捨てて逃がるるは 卑怯者 思い出せば その昔 俊寛僧都に あらねども 沖なる島の 身を投じ 見るも憎しや 情けなや 彼は岩なり 我は船 みすみす沈む 海原の 底の藻屑と なりゆくは いといと易き ことながら 家に残れる 妻や子や 待ちくたびれし 弟妹の 我なき後は 如何にせん 憂きぞいとぞ 思わるる 浮世は仮とは いいながら 常なき者は 人ごころ 昨日の恩は 今日の仇 斯かる奴とは 露知らず その信義をば 片頼み ついうかうかと 大海に 乗り出でたるぞ 恨めしや よしや恨みは 残すとも 汝が為せる 罪悪は この世のあらん 限りには などで晴さで おくべきか 右手に稚子 左手には 老いたる者を 助けつつ 悲嘆に沈む 涙淵 伏しつまろびつ 泣き入りて 目もあてられぬ 風情なり 折りしも一人の 少年は 甲板上に よじのぼり 沖なる方を 打ち見やり せきくる涙 とどまらず 「われ航海の 一端も 学び覚えし ことあらば 日頃の技倆を あらわして 逃るる術は 易けれど わが同胞の 危難をば 捨てて救わで ただ一人 命を惜しむ たわけもの 大和心の 大丈夫(ますらお)に 嘲り笑わる 苦しさよ いざ是よりは 潔よく みな諸ともに この身をば 千尋の海に 打ち沈め 藻屑とこそは 果てなん」と 呼び終わる その中に 無常を告ぐると 時の鐘 山なす波に 打ちまかせ ![]() 二十五人の 同胞は 無惨や藻屑と なりにける 斯くと知らずや 白波を 舟に乗じて 船長は 紀伊の浜辺に 上陸し 領事庁へと 進みいで 己が過失を おおわんと 非を理にまぐる 陳述を 音に名高き ホント氏が 何どて知らざる 事やある 固より知りつる 事ながら わが東洋に 人なしと 日頃の傲慢 あらわして 大悪無道の 奴隷鬼を 無罪放免 それのみか アッパレ見事の 船長と 褒めはやしたる 裁判を 聞いて驚く 同胞は 切歯扼腕 やるせなく 世論一時に 沸騰し 正は正なり 非は非なり 国に東西 ありとても 道理に二つ あるべきか ノルマントンの 船長の その暴悪の 振舞いは 外つ国々の 人ですら その非をせめぬ 者ぞなき 乗合多き その中に 白晳人種は みな生きて 黄色人種は みな溺る 原因あらば 聞かまほし 彼も人なり 我も人 同じ人とは 生まれながら 危難を好む 人やある いのち惜しむぬ 者やある イギリス国の 法官よ 汝の国の 奴隷鬼は 人を殺して 身を逃る 義務を忘れて 法犯す 極悪無道の 曲者ぞ これぞ所謂 スローター などて刑罰 加えざる などて刑罰 加えざる 汝が国は 兵強く 軍艦大砲 ありとても わが国民は 知識なく 国が実に 弱くとも 鳥や豚では あるべきか 是非曲直を 知る者を 大和だましい ある者を 二千余年が その間 尚武の国と 名も高く 外国人の 侮りを 受けしこと さえなきものを 斯くする法の 傲慢の その裁判に おめおめと 従う奴隷が あるべきか 汝知らずや 我が民は 恥のためには 命をも 義理にのぞめば 財産も 捨てて惜しまぬ その理は 破船の時の 少年の 挙動を見るさえ 知りつらん わが同胞は 不常にも 無惨の横死と 聞くならば 雲井にかける 都人も 伏屋に宿る しずの女も 六十余州は みなおなじ 己が困苦を 打ち忘れ その兄弟は 妻子まで 救わでやまぬ 鉄石の 心は同じ 敷島の 大和ごころの 大丈夫 道理つめなる 論鋒や その豪気なる 振舞いは 岩をも砕く いきおいに さすがに名高き 英人も 傲慢心は 打ち破れ 一旦免せし 奴隷鬼を 一言いわさず 引捕らえ ふたたび開く 公判に 罪科の所置を 定むれば 二十五人の 家族らも 三千余人の 同胞も その公平に 感嘆し 積もるうらみも 是に晴れ 波風にわかに 沈まりて 残るは元の 月ひとつ いとあざやかに 見えにける それを見るにも 思いやる いまは明治の 御治世 外交とみに 繁くなり 国事も日々に 多端なり はるかに彼方を 見渡せば 筑紫の海は 波高く 風さえ強き 秋の空 薩摩の海の 南には 豺狼の住む 国もあり 用意もなくて うかうかと 吹き流されて 破船せば 二十五人は まだ愚か 三千余万の 兄弟も あわれ危難に 過るにも まして条約 改正の 今にも談判 整わば 内地雑居と なり来り 赤髪碧眼 かず多く わが国内に 乗り込みて 学問知識を 競争し 工芸技術 それぞれに 名誉の淵に 乗り出し 勝負を競う 事なれば 油断のならぬ 今の時 ノルマントンの 沈没の その惨状を 知る者は 心根たしかに 気をはりて 若しくも第二の 奴隷鬼や なお恐ろしき ファントムが 顕われいでたる 事あらば 三千余万の 同胞は みな諸ともに 一致して 力を限り 情かぎり 縦横無尽に 憤撃し それでも及ばぬ その時は 生命財産 なげうちて 国の権利を 保護して 保たにゃならぬ 国の名を 保たにゃならぬ 国の名を 明治20年に流行した。作詞家不肖、作曲者ルルーは、陸軍軍楽隊を指導したフランス人で、彼が作曲した「抜刀隊の歌」の曲を借りて歌詞を載せ替えたものと、『日本流行歌史(上)』説明している。メディアのない時代、こんな風にして事件は喧伝された。
あわれなるかや へそ穴くどき 国はどこよと 尋ねて聞けば
国は内股 ふんどし郡(ごおり) だんべ村にて ちんぼというて おそれおおくも もったいなくも 天の岩戸の 穴よりはじめ 亭主大事に こもらせ給い ふじの人穴 大仏殿の 柱穴にも いわれがござる 人の五体に 数ある穴に わけてあわれや へそ穴くどき 帯やふんどしに 締めつけられて 音(ね)でも息でも 出すことならぬ 仁義ごとにも 出ることならぬ 夏の暑さに じつないことよ ほんに体も とけるよでござる 日の目おがまず 夜昼しらず よその穴ショの 楽しみ聞くに 春は花見に 夏蛍見に 秋は月見に 冬雪見とて 耳はおお聞く 琴三味線の 鼻は香(こう)買い蘭麝(らんじゃ)の香り 口は三度の 食事のほかに 酒や魚や 茶菓子というて うまいものには 鼻ふくらしゃる ![]() おらが隣の 朋輩穴は かわいがらるる 愛嬌もちて 世間のつきあい 慰みごとよ 月に一度の お厄のほかに 夜毎夜毎に その賑やかさ きんべおととに きんしちというて 暮れの六つから 明け六つまで どたらばたらと裏門たたく わしもたまげて 覗いてみれば 光る頭を ぶらぶらと下げて 坊主頭に 縦傷はわせ 禿げた頭に かづらを巻いて おらは隣に 大法事がござる 誰が法事だやら わしゃ知らねども 知らん坊さん達 出たり入ったりなさる お米とぐやら 白水ながす おとき喰うやら口ぐちゃやしゃと お布施つつむやら 紙ぐしゃぐしゃと わしら屋敷まで 白水ながす いかにわたしが りくぶじゃとても よその騒ぎで 気ばかりもめる せめてぐるわに 毛でも生えたならば ごみやほこりを 入れさせまいと あるに甲斐なき へそやこれの穴 サエー ![]() ![]() 新保 ナーエ コリャ 広大寺かめくり(花札ばくち)こいて コリャ 負けた ナーエ 袈裟も衣も ヤーレ みなさえ コリャ 取られた ナーエ (囃し) ああいいとも いいとも 一時こうなりゃ 手間でも取るかい ナーエ あとでもへるかい いいこと知らずの 損とりづらめが いいとも そらこい 新保広大寺に 産屋が出来た お市案ずるな 小僧にするぞ ナーエ 桔梗の 手拭いが 縁つなぐなら おらも染めましょ 桔梗の型てば ナーエ (囃し) そうとも素麺 下地が大事だ こいてばコンニャク きんには大事だ もっとも麦飯 とろろが大事だ おらカカそれより まんこが大事だ いいとも そらこい さほど目に立つ お方じゃないが どうやら私の 虫やが好くてば ナーエ (囃し) 新潟街道の スイカの皮でも 抱いたら離すな 十七島田に 乗ったら降りるな きっきとこいだら ほっぺに吸い付け いいとも そらこい 新保広大寺が ねぎ喰って死んだ 見れば泣けます ねぎのはたけ ナーエー 殿さ殿さと ゆすぶりおこせば 殿さ砂地の 芋で無いぞ ナーエー ![]() 越後ごぜ達が唄い広めた「新保広大寺節」は、江戸時代の五大流行唄の筆頭ともいわれた。北上した越後ごぜは、山形、秋田、青森、北海道と唄い歩き、そして「津軽じょんがら節」、「口説節」、「道南口説」、「北海道鱈つり唄」などに流れ継がれていった。 関東方面に上京した越後ごぜによって、このザレ歌は上州風土に合う「木崎音頭」、「八木節」へと変じていったといわれる。 南下した越後ごぜは、信州路から甲州路や中仙道へと唄い歩き、「古代神」、「麦わら節」に変化や影響を与えた。また、三国峠を越えて「八木節」や「船屋唄」のルーツとなり、北へ向かって秋田民謡に影響を与え、青森で「津軽じょんがら節」を生み、更に西へ向かっては、中国地方の民謡「古代神」の元唄となり、全国各地の「口説」の源流となっている。
ハァーエ 鳥も渡るか あの山越えて 鳥も渡るか あの山越えて(コラショ)
雲のナァーエ 雲のさわ立つ アレサ 奥秩父 ※ 以下唄ばやし同様 咲くは山吹 躑躅の花よ 秩父銘仙 機(はた)どころ 花の長瀞 あの岩畳 誰を待つやら 朧月 三十四ヶ所の 観音巡り 娘十九の 厄落とし 一目千本 万本咲いて 霞む美の山 花の山 霧に濡れてか 踊りの汗か 月にかざした 手が光る 主のためなら賃機(ちんばた)夜機(よばた) たまにゃ寝酒も 買うておく 今宵一夜は 三峯泊まり 明日は雁坂 十文字 遠く聞こゆる あの笛太鼓 あれは秩父の 盆踊り 桑の葉影に 流るる太鼓 武甲二子(ふたご)の 月明かり 燃ゆる紅葉を 谷間の水に 乗せて荒川 都まで 炭の俵を 編む手にひびが 切れりゃ雁坂 雪化粧 秋蚕(あきご)仕舞うて 麦蒔き終えて 秩父夜祭り 待つばかり ![]() <唄ばやし> おらが方じゃこうだヨ おかしけりゃお笑いなット コラショ そうともそうともそうだんべ あちゃむしだんべに吊し柿ット コラショ 朝霧けたててよく来たね ちょっくら寄っておあたりなット コラショ 押せ押せ押せな 押してもいいから突っつくなット コラショ 坂道登ってよく来たね 田楽芋でも おあがんなット コラショ おっきり込みが出来たから ちょっくら寄っておあがんなット コラショ 済まない済まない済まないね 済まなきゃ女房にしておくれット コラショ べーべー言葉が止んだらば ナベやツルベは何ちゅうべット コラショ 盆が来たのに 踊らぬやつは 子でもはらんだか すばこが出たか 早く越せ越せ 大浜船頭 皆野通いが 遅くなる 大田田の中 桜ヶ谷は都 米のなる木を 見て暮らす 土京さだめて 戦場を越えて 行けば三沢の 三夜様 ●口説調 木崎街道の 三方の辻に お立ちなされた 石地蔵さんよ 男通れば あちら向いてござる 女通れば 袖引きなさる これがヤーハーエー これがまことの 色地蔵さんよー 金もないのに 大寺建てて 高さ十二間 横幅九間 奥の欄間の 彫りもの見たか 奥の欄間の 彫りもの見たか 一にナーハーエー 一にトタンに 十二の湯桶 おらが隣りじゃ いい婿取った おらがとなりじゃ いい婿取った 医者で伯楽で 大工で左官 臼の目も切る こたがもかける 人に頼まれりゃ 屋根屋もするが 人が見なけりゃ ちょくら持ちもなさる 何の因果が 餌さしが好きで 餌さし出るたび 足袋装束で 腰に餅つぼ 手に竿下げて 裏の小山へ よっこらよいと登る 一丁登れば 小松原がござる 松の小枝に 小鳥が一羽 こいつさしてやろうと 竿取り直す 竿は短し 小鳥は高い そこで小鳥の 申することにゃ お前餌さしか わしゃ百舌の鳥 お前竿持って さすのが渡世 ご縁あるなら またこの次に ご縁あるなら またこの次に さしてもらおうと 暇(いとま)とる ●金子伊昔紅作 花の長瀞あの岩畳 誰を待つやらおぼろ月 秋蚕仕舞うて麦蒔き終えて 秩父夜祭待つばかり 炭の俵を編む手にひびが 切れりゃ雁坂雪かぶる 咲くは山吹つつじの花よ 秩父銘仙機どころ 宝登の並木で松約束よ 何を長瀞してるやら 一夜泊ればつい長瀞の 味が忘れぬ鮎の宿 さす手引く手の揃いの浴衣 どれが姉やら妹やら わたしゃ本場の秩父の娘 仇にゃ織らない色模様 主のためなら賃機夜機 たまにゃ寝酒も買うておく 夢も長瀞うれしい一夜 宝登のよいのが忘られぬ 小春障子に影ゆらゆらと 籾をするすの嫁姑 月は傾き踊は果てて 暁のしじまを飛ぶ鴉 月がやぐらの真上に来れば 踊り澄む輪の十重二十重 庄司重忠ゆかりの秩父 今にすたらぬ義と情 わたしゃ中津の炭負い嫁 深山ざくらは遅く咲く 霧に濡れてか踊りの汗か 月にかざした手が光る 踊り疲れて輪を出てみたが 主の音頭でまた踊る 一目千本万本咲いて 霞む美の山花の山 ●公募歌詞(昭和5年~47年)入選作 好いて好かれて好かれて好いて やがて世帯は皆野町 鳥も渡るかあの山越えて 雲のさわ立つ奥秩父 恋は異なもの首さえ捨てた 皆野戦場の石地蔵 遠く聞こゆるあの笛太鼓 あれは皆野の盆踊り 武甲山割りドンと鳴りゃ昼よ いとし女房と麦茶漬 狭霧朝霧炭つけ馬 かげは見えねどシャラシャンと 忍び逢う時は浅間山の 尾根の松の葉月かくせ 泣いて別れた栗谷瀬川原 知るは渡しの舟ばかり 燃ゆる紅葉を谷間の水に 乗せて荒川都まで 踊り太鼓が手に取るように 嫁の里から皆野から 元は繰り舟親鼻渡し 今はタクシー二人づれ 主が唱えば私が踊る 共にやぐらの上と下 秩父音頭も踊れぬくせに 嫁にゆくとは気が強い 盆だ盆だよみな出て踊れ 釈迦も孔子も来て踊れ 秩父むかしから踊りの国よ 踊りおどらにゃ名がすたる 月の露営の仮り寝の夢に ひびけ今宵の笛太鼓 雨が降るよと蓑笠つけて 山の高処の桑摘みに 無理のようだが男を産めと 主のたよりが戦地から 霧が湧き立つ霧藻が峯に 啼いて明かしたほとぎす 炉縁いとしやもろこし餅で 踊り太鼓をたたく真似 三十四ケ所の観音めぐり 娘十九の厄おとし 山の鴉が塒に帰へる わたしゃお主に逢ひにゆく 瀞の雄滝が雌滝に通ふ 月もひととき雲がくれ 鮎の早瀬にせかれて下る 心残りの岩だたみ 谷間づたいに太鼓がひびく 踊りどこだと月にきく 主が来たかと機音止めて 出れば月夜の蕎麦畑 二瀬ダムから流れる水が 里じゃ黄金の波となる もろこし焼餅はたいて吹いて 炉端色めく嫁ばなし 鮎の早瀬に夕日が落ちりゃ 踊やぐらの灯が映る 機を織る灯がいつしか消へて 桑の夜露に月宿る 月にかざした踊の手にも 逢ふたあの娘の香が残る うどにのごんぼたろっぺに蕨 おらが秩父の味のよさ 笛や太鼓の音きくままに 花の秩父路更けてゆく 桑の芽立ちにせかるる心 遠い浅間の灰曇り 桑の芽立ちの秩父路行けば 瀞のあたりは花曇り 咲くは石楠花駒鳥啼いて 登る両神霧の中 秩父山脈しずかに眠りゃ 屋台ばやしがゆり起こす 恋の長瀞おぼろに暮れて 影が寄り添う岩だたみ 美鈴山から出てくる月を 招く踊りの手が揃う わたしゃ栃餅山家の育ち 主はもろこし里生れ 羊山には朝日が昇り 秩父夜祭り夜明けまで 栗も笑み頃茸も出頃 娘年頃恋ごころ 添うて嬉しい二人を映す 花を浮かべた瀞の水 柿ももがなきゃ鴉がつつく わたしゃ熟れたになぜ取らぬ 秩父夜祭りえにしの糸よ 今じゃ機織る主のそば 虹がつないだ栗谷瀬渡し 恋のかけ橋いつかかる 想い出しますあの盆踊り 主と踊った愛宕塚 わたしゃ国神あなたは三沢 今じゃ二人の皆野町 踊る手と手に輪と輪がゆれる 月じゃ兎の手がゆれる 夢にまで見た皆野の町へ あすはお嫁にゆくわたし 孫を抱えた姑と嫁を のせて豆トラ野良がえり はずむ踊の輪と和が結びゃ つなぐ手と手が町づくり 背戸の畑の芽桑の帯を ほどく手元の日が伸びる 踊る姿に見とれて居たら いつか手を振り首を振る 柿を囲んで明るい夜業 むいてつるべて春を待つ 皆野みなのが皆出て踊りゃ 知らず知らずに丸くなる 調子とりとり腰うごかして 心ゆくまで踊るよさ 家内総出で踊った顔に 笑いこぼれるけさの膳 町を総出の踊りの宵は 昇る月さえ丸くなる 夢のお国かおとぎの国か 霧にネオンの浮かぶ街 忍び逢う坂金比羅あたり かなえ栗谷瀬恋の橋 月がささやく太鼓が招く 踊るあの娘は目で招く 秩父深山に石楠花咲けば 恋も咲きます二瀬ダム 踊り明かした娘の頃を 想い出させる笛太鼓 皆野みの山月の出日の出 夢と文化の皆野町 わたしゃ還暦まだまだ若い 踊太鼓に気もそぞろ 歌と踊でとけ合う時は 月もほほえむ夜も明ける 孫の踊に手拍子そろえ わしも自慢の音頭とる 老いも若きも揃って更けりゃ おぼろ月夜の夢の町 伊豆や草津のいで湯のまちに 秩父音頭の花が咲く 皆んな集まれ皆野の人よ おどる輪の中唄の中 唄い上手ときいてはいたが 主の音頭にまた惚れた 手ぶり明るい踊の花が 咲くよ住み良い皆野町 孫の音頭で姑と嫁が 踊りゃ笑顔に花が咲く 皆野来たなら嫁さも踊れ 婆が手をとる留守もする 夕飯すませてひと風呂浴びて あとは踊りを待つばかり 嫁も姑も手拍子そろえ 唄と踊りの輪がはずむ 人目しのんで長瀞下り のぞく山吹雪やなぎ 花のしとねを着て美の山が 秩父音頭の町を抱く 秩父音頭の生まれた里は 花の美の山皆野町 春は長瀞美の山までも 花に浮かれた人の波 板東西国秩父の札所 めぐり納めの水潜寺 お山がかりを花火で知らしゃ 街は灯の海人の波 皆野親鼻大浜までも 流しおどりの花が咲く 春の講社の満員馬車に 宝登の土産の渋団扇 紅の匂いもほんのり見せて 三十四番の結願寺 芽吹くあぜ桑菜の花小みち 札所まいりの鈴の音 馬車にゆられて宝登山まいり 鹿とお猿のお出迎え 花とぶどうの皆野の町は 秩父音頭の歌の町 春の秩父路お遍路さんの 笠に蝶々がもつれあう 願いごとなら宝登山さまへ 好いたあの娘と添えるよに 樽に腰かけ盃被り 羅漢様さえうかれ出す 西に両神南に武甲 遠く三峯奥秩父 可愛あの娘のお遍路姿 笠に隠れた顔見たい 手びき荒びきもろこし餅の 中は味噌餡漬菜餡 雲が飛び行く甲武信の空へ 招く山百合奥秩父 花の美の山紅葉の中津 瀞に掉さす舟下り 峰の雪さえほろりととかす 秩父娘のかたえくぼ お蚕上手で踊りも上手 おらが娘さあの手振り ●相の手 おーらがほーじゃこうだよ おかしけりゃお笑いな そうともそうともそうだんべえ アチャムシダンベにつるし柿 朝霧けたててよく来たね ジロバタ寄っておあたんな おっきりこみが出来たから ちょっくら寄っておあがんな べえべえ言葉がやんだらば 鍋やつるべばナンチューベ おらがほーじゃこーだよ そうともそうともそうだんべ スッチョイバケツが十三銭 安いと思ったら底ぬけた すまないすまないすまないね すまなきゃ女房にしておくれ 押せ押せ押せな 押してもいいからつっつくな 寄って飲みなよせくこたねーよ 朝茶はその日の難のがれ ほりながらずに言ってみな 駄目ならさらっと諦めな しちふりこいてと言われても でっけえことをやってみな 一富士 二鷹 三なすび お嫁に行く日はまだ見ない いいから貸すから飲んできな ある時きゃさらりと置いてきな ああだんべこうだんべ 言わなきゃ話がまとまらぬ ラッキョウラッキョウ 生ラッキョウ むいてもむいても種がねえ
[い] いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし
[ろ] 楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは たかきいやしき [は] はかなくも 明日の命を 頼むかな 今日も今日もと 学びをばせぞ [に] 似たるこそ 友としよけれ 交らば われにます人 おとなしき人 [ほ] ほとけ神 他にましまさず 人よりも こころに恥ぢよ 天地よく知る [へ] 下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりも 山とことの葉 [と] 科ありて 人を斬るとも 軽くすな いかす刀も ただ一つなり [ち] 智恵能は 身につきぬれど 荷にならず 人はおもんじ はづるものなり [り] 理も法も 立たぬ世ぞとて ひきやすき 心の駒の 行くにまかすな [ぬ] ぬす人は 余所より入ると 思うかや 耳目の門に 戸ざしよくせよ [る] 流通すと 貴人や君が 物語り はじめて聞け 顔もちぞよき [を] 小車の わが悪業に ひかれてや つとむる道を うしと見るらん [わ] 私を 捨てて君にし 向はねば うらみも起こり 述懐もあり [か] 学文は あしたの潮の ひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ [よ] 善きあしき 人の上にて 身を磨け 友はかがみと なるものぞかし [た] 種子となる 心の水に まかせずば 道より外に 名も流れまじ [れ] 礼するは 人にするかは 人をまた さぐるは人を さぐるものかは [そ] そしるにも ふたつあるべし 大方は 主人のために なるものと知れ [つ] つらしとて 恨みかへすな 我れ人に 報ひ報ひて はてしなき世ぞ [ね] ねがはずば 隔てもあらじ いつはりの 世にまことある 伊勢の神垣 [な] 名を今に 残しおきける 人も人 心も心 何かおとらん [ら] 楽も苦も 時すぎぬれば 跡もなし 世に残る名を ただ思ふべし [む] 昔より 道ならずして おごる身の 天のせめにし あはざるはなし [う] 憂かりける 今の世こそは 先の世と おもへばいまぞ 後の世ならん [ゐ] 亥にふして 寅には起くと ゆふ露の 身をいたづらに あらせじがため [の] 遁るまじ 所をかねて 思ひきれ 時に到りて 涼しかるべし [お] 思ほへず 違ふものなり 身の上の 欲をはなれて 義をまもれひと [く] 苦しくも すぐ道を行け 九曲折の 末は鞍馬の さかさまの世ぞ [や] やはらぐと 怒るをいはば 弓と筆 鳥にふたつの つばさとを知れ [ま] 万能も 一心とあり 事ふるに 身ばし頼むな 思案堪忍 [け] 賢不肖 もちひ捨つると 言ふ人も 必ずならば 殊勝なるべし [ふ] 無勢とて 敵をあなどる ことなかれ 多勢を見ても 恐るべからず [こ] 心こそ 軍する身の 命なれ そろゆれば 生き揃はねば死す [え] 回向には 我と人とを 隔つなよ 看経はよし してもせずとも [て] 敵となる 人こそはわが 師匠ぞと おもひかへして 身をもたしなめ [あ] あきらけき 目も呉竹の この世より 迷はばいかに 後のやみぢは [さ] 酒も水 流れも酒と なるぞかし ただ情けあれ 君がことの葉 [き] 聞くことも 又見ることも 心がら 皆まよひなり みな悟りなり [ゆ] 弓を得て 失ふことも 大将の 心一つの 手をばはなれず [め] めぐりては 我身にこそは 事へけれ 先祖のまつり 忠孝の道 [み] 道にただ 身をば捨てむと 思ひとれ かならず天の たすけあるべし [し] 舌だにも 歯のこはきをば 知るものを 人は心の なからましやは [ゑ] 酔へる世を さましもやらで さかづきに 無明の酒を かさぬるは憂し [ひ] ひとり身を あわれと思へ 物ごとに 民にはゆるす こころあるべし [も] もろもろの 国や所の 政道は 人に先づよく 教へ習はせ [せ] 善に移り 過れるをば 改めよ 義不義は生れ つかぬものなり [す] 少しきを 足れりとも知れ 満ちぬれば 月もほどなき 十六夜のそら ■島津日新斎(忠良) 島津家の内紛を収拾した忠良は、子貴久を守護職につけ、1550 年(天文19 年) 加世田へと退いた。その後も行者的、学者的活動で貴久を支援した。神儒仏教の合一、四書五経と朱子学の推奨と「伊呂波歌」の作歌で家臣団統率にあたり、近世大名としての島津氏の基礎をつくっ た。日新斎の教えは、島津家の家訓として 受け継がれ、薩藩士風の指針を示すとともに、精神文化の高揚に大いに役立った。 「いろは歌」にうかがえる儒教的な心構えを基礎とした忠良の教育論は、孫の四兄弟・島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久にまで受け継がれることとなり、現代にも大きな影響を与えている。 晩年は島津日新斎と号し、いずれも優秀な四人の孫を「総領の義久、武勇の義弘、智謀の歳久、兵法の家久」と評し、1568年死去した。
米 搗 唄
一、 米搗きはサーヨーイ 楽だと見せて(合唱)らーくジゃーない 何仕事 サーヨーイ 仕事に楽は (合唱) あーりゃしーない ヨイトコ ソーリャ(合唱) サーノーナー ヨーイ 二、 山鳩は 酒屋の破風に (合)巣をかけた 夜明ければ 米張れ搗けと (合)さえずるよ 流 し 唄 一、 (甲) ハーアアー今朝のヤー 寒さに ハーアア洗番はー どなた (乙) 可愛いヤー 男のー ハーコリャー 声がーするヨ 二、(甲)可愛い 男の 洗番のときは (乙)水も湯となる 風たたぬ 三、丹波 通いに 雪降り積る 家で妻子が 泣いている 四、家で 妻子が 泣くのも道理 私しや他国で 泣いて居る 五、会津 磐梯山 宝の お山 笹に黄金が なりさがる 六、笹に 黄金が なるとは嘘よ 辛棒する木に 金がなる 七、丹波 与作どの 馬方やめて 今じゃお江戸で 二本差す 八、二本 さすとて 威張るな与作 娘かんざし 二本さす 九、二本 かんざし 伊達にはささぬ 切れし前髪 留めにさす 十、切れし 前髪 櫛の歯でとめる とめてとまらぬ 色の道 米 研 ぎ 唄 一、 (甲)ざぐりナー ハエざぐりと 今研く米で ヨー (乙)お酒ナー ハエ造りて お江戸に出す ヨー 二、お江戸ナー ハエ出す酒 名のよいお酒 ヨー 三、酒はナー ハエ剣菱 チョイト男山 ヨー 四、研げゃナー ハエ研げゃとげ 研ぎあげて 煙草 ヨー 荒もと摺唄(曲、詩とも米搗唄と同じ) 一、荒もとは 楽だと見せて (合)楽じゃない 何仕事 仕事に楽は (合)ありゃしない 二、山鳩は 酒屋の破風に (合)巣をかけた 夜明ければ 酒売りだせと (合)さえずるよ 三、南部では 高さもたかい (合)岩手富士 県下ろせば 盛岡市が (合)目の下に 四、名所では 石割桜 (合)お城跡 清らかな 北上川が (合)流れおる 五、乙部町 柳の葉より (合)狭い町 狭いとて 一夜の宿で (合)銭をとる 六、松前は 南部の果の (合)はなれ島 はなれも 一夜の宿で (合)銭をとる 七、松島の 瑞巖寺程の (合)寺もない 前は海 後は山で (合)小松原 八、仙台の 宮城ケ原の (合)萩の花 咲き揃うて 錦にまさる (合)萩の花 九、頼みます 左の方に (合)頼みます 文句のよいとこ (合)頼みます もと摺本調子唄 ハー 音頭来たそうだー アヤーエ 皆様たーのむ (合)声をそーろえて エヤーエ 頼みますヨー 一、トロリトーロリとヤーエ出た声なればー (合)声をとーられたーヤーエ 川風にヨー 二、川の鳴る瀬に 絹ヤ機たてて 波に織らせて 瀬に着せる 三、揃うた揃うたと 南部衆が揃うた 秋の出穂より なおそろうた 四、揃うた出穂にも おくれ穂もござる 此の家 若い衆 おくれゃない 五、おくれないのに はやり伴天きせて やるぞ伊丹の はたらきに 六、やるぞ伊丹で 今とる もとで お酒 造りて 江戸に出す 七、江戸に出す酒 品のよいお酒 酒は剣菱 男山(その庫の酒名) 八、男山だと どなたが名を呉れた 諸国諸大名 名をくれた 九、諸国諸大名 生れはいづこ 出羽が庄内 鶴ケ丘 十、鶴ケ丘では 羽黒山の鐘は ついて放せば 七日なる 十一、七日なるとは 撞木か 鐘か 鐘と撞木が 合えばなる 十二、どんと飛びます 大阪の城は 前は淀川 船がつく 十三、船がつくとは 昔のことよ 今はごみ川 鰌がつく 十四、鰌のつくは 秋坂ごろよ 春は雪じる 鯉がつく 十五、肥えた鯉鮒 みみずで釣るが 都女郎衆は 金で釣る 十六、よかろよかろと もと屋さんがおしゃる これでオシャンなら おさめおく 十七、納めおくには 何というで止める 酒屋ご繁昌と いうて 止める ヨーイヨイヨイワサノ サーサコレワイサノサ ヨーイワヤッサノヨイ 仲仕込唄 一、 ヤーアレとーろりナンセーエエ エーエエとーろりと~ヤーエ 出たこーえ~なーれ~ば(合)ヤーアレこーえをナンセーエエ エーエエとーられた~ヤーエ かーは かアアぜエーに 二、 揃た揃たと 仲搗き揃うた(合)秋の出穂より なおそろた 三転(さんころ)搗唄(仲唄) これから三転(ころ)始りだ(合)ハー俺も一本しようかいな ハーヨイワサ (合)ハーヨイワサ 一、 お婆さん 何処ござるノーヤ 一升に二升 三升に四升 五升揃 横脇の方に ぶらしゃらと さげて(合)嫁の在所にノーヤ 孫抱きに 二、 お爺さん 何処(どっちゃ)ござるノーヤ ワッパに糧飯 きせるのドウラン 腰に鎌 さげて 三、 竹に雀が ノーヤ あっちの薮から こっちの薮えと チンチンパタパタ 口元そろえて 寒竹唐竹 孟宗なんぞと 品よくとまる (合) とめて 止まらぬノーヤ 色の道 四、 竹のきん切口ノーヤ すこたまこだまに なみなみたっぷり たまりし水も (合)澄まず濁らずノーヤ 減りもせず 五、 竹の一本橋ノーヤ 細くて長くて しなしなしおって 危いけれども 小田原提灯 一本足駄で ヒラリヤヒラリと 品よく渡りしときは (合)すべってころぶともノーヤ 諸共に 六、 竹の一本橋ノーヤ 細くて長くて しなしなしおって 滑って転んで 危ないけれども お前と二人で お手々をつないで 大阪下りの 蛇の目傘 相寄り差し合い お口を吸寄せ 渡るなら 渡る (合)落ちてくたばる共ノーヤ 厭(いと)やせぬ 七、 丹波与作どんはノーヤ 喰つく撥つく 飼葉桶 叩き毀す 馬防棒(まふせぎ)は 引き折る(ひっぽしょ)る 登り坂厭がる 下り坂は頑張る 朝寝は喜こぶ 仕舞酒は頑張る 馬方なれど (合)今じゃお江戸でノーヤ 二本差す 八、 江戸の与惣兵殿ノーヤ 三年三月九十九日 寝るのもねないで 算盤抱えて シッツキバッツキ 弾き出したる 引かけの追かけの車 (合)誰が廻すやらノーヤ くるくると 変調子 九、 ヤレくるりとヤーエ 廻るのが淀の (合)ヤレ川瀬のヤーエ 水車よ 十、 唄の仕舞は ヤーエ 何というて止める (合)ヤレご繁昌と ヤーエ 云うて止めるよ ハア ヨイワヤッサノ ヨイ 留仕込唄 サーアヨンセー(合)サーヨンセー サーアヨンセー(合)サーヨンセー 一、 ハイとーろーリナ ハイとーろーりとーヤーエ(合)ハヨーイヨイ 出たーこーえー なーれーど (合)ヤーレこーえエエをナ ハエとーらーアれたーヤーエ (音)ハヨーイヨイ(合)かーわかーぜーに 二、 川の鳴る瀬に 絹ヤ織たてて 波に織らせて 瀬に着せる 三、 そろうたそろうたと 南部衆がそろうた 秋の出穂より なおそろうた 四、 そろうた出穂にも おくれ穂がござる この家お庫に おくれない 五、 おくれないのに はやり伴天きせて やるぞ伊丹の はたらきに 六、 やるぞ伊丹で 今搗く留で お酒造りて 江戸に出す 七、 江戸に 出す酒 品のよいお酒 酒は 剣菱 男山(自庫の酒名) 八、 以下(もと摺本調子唄の歌詞通用) 仕舞唄の数々 イ、よかろよかろと 松尾様のお告げ(合)これで納めなら おめでたい ロ、見ればよさそだ 皆様 いかが(合)これでオシャンなら おさめおく ハ、唄の 仕舞は 何というて止める(合)酒屋 ご繁昌と いうて止める ニ、千秋楽 には これ限りない(合)鶴と 亀とが 舞いあそぶ ハ、そのや 鶴亀 何と云うて遊ぶ(合)酒屋ご繁昌と いうてあそぶ ニ、いきけば目出たい その唄返えせ(合)酒屋ご繁昌と いうてあそぶ ホ、聞けば よい声 も一度たのむ(合)酒屋ご繁昌と いうて止める ヘ、俺も 商売じゃ も一度返えせ(合)酒屋ご繁昌と いうて止める (総合唄) ハア留を搗いてはシャンとせ ハ、オシャシャノ シャンとせ ヨーイワヤッサノ ヨイ 数え文句 一、始まつたるは 一の谷 鵯(ひよどり)越えの 真坂落し 二、日光 結構 ありがたいは 信濃の 善光寺 三、山州は山の中 おまんは 毛の中 四、四ッ谷 赤坂 麹町 たらたら落ちるは お茶の水 五、ゴオンと 鳴るは 明け六ツの鐘 可愛い殿御の 目を覚す 六、六千軒は 高田のご城下 雪の降ること 日本一 七、お七可愛いや 鈴ケ森 スッカラチャンコ 灰にした 八、八ツバンドは 蛸の足 いかにも蛸に 足八本 九、九宝丹は 風邪払い 万金丹は 腹薬 馬の小便 水薬 十、藤堂は 和泉(いづみ)の守 十一、十一面は よい面だ 十二、十二薬師に 願をかけ 可愛いあの娘と 添ように 十三、十三明の春 穴蜂刺すのは まだ早い 十四、十四の春まで 待って呉れ 十五、十五夜お月は 世に余る 釜屋の品物 手に余る 十六、十六羅漢は 働らかん 大寒小寒 酒のかん 十七、十七島田は 投島田 抱いたら離すな 乗ったら降りるな ギュッギュとやらかせ 十八、十八女子の 棚ざらし 十九、十九穴蜂 脚気の妙薬 二十、廿というては 一わたり(二回目は二わたり) 酒造従業者の作業唄は、「歌も半給料」といわれるほど重要視された。 作業歌は、故郷をはなれた蔵人たちの郷愁を忘れさせて作業能率を高めるとか、従業者の意思を統一をはかるためだけでなく、歌によって作業の区切りを行っており、作業によって歌が異なる。 機械化などで酒造工程が合理化されるにつれ、作業唄の重要度は低くなった。現代では時計を使って作業の区切りを行うために、歌を歌いながら作業をする風景などは見られなくなっている。 ![]() (囃子)窓のサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン 筑子の竹は 七寸五分じゃ 長いは袖の カナカイじゃ 踊りたか踊れ 泣く子をいくせ ササラは窓の 許にある 向の山を 担(かず)ことすれば 荷縄が切れて かづかれん 向の山に 啼く鵯(ひよどり)は 啼いては下がり 啼いては上がり 朝草刈りの 目をばさます 朝草刈りの 目をさます 月見て歌ふ放下(ほうか)のコキリコ 竹の夜声の 澄みわたる 万のササイ放下(ほうげ)すれば 月は照るなり 霊(たま)祭 波の屋島を 遁れ来て 薪樵るてふ 深(み)山辺に 烏帽子狩衣 脱ぎ葉てて 今は越路の 杣刀 娘十七八 大唐の藁じゃ 打たねど腰が しなやかな 想いと恋と 笹舟にのせりゃ 想いは沈む 恋は浮く イロハの文字に 心が解けて 此身をせこに 任せつれ かぞいろ知らで 一人の処女(なじょ)が いつしかなして 岩田帯 向いの山に 光るもんにゃ何んぢゃ 星か蛍か 黄金の虫か 今来る嫁の 松明(たいまつ)ならば さしあげて 燃やしゃれやさ男 漆千杯 朱千杯 黄金(きん)の鶏 一番(つがい) 朝日かがやき 夕日さす 三つ葉うつ木の 樹の下に 色は匂へど 散りぬるを 我世誰ぞ 常ならむ 憂ゐの奥山 今日越えて 浅き夢みし 酔ひもせず 「こきりこ」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された全国的に有名な古代民謡る。 多くの民謡は起源や伝承の経緯がつまびらかでないのに比べ、この唄は『越の下草』や二十四輩順挿図絵、『奇談北国巡杖記』などの古文献に記載されており、大化改新(約一四〇〇年前)の頃から田楽として歌い継がれてきたという。
諦めて 酒でも呑んで 白川夜船で 寝たも良い
赤い切れかけ 島田のうちは 何で心が定まろうや 諦めて 酒でも呑んで 白川夜船で 寝たも良い あまりつらさに 出て山見れば 雲のかからぬ山はない 現れまして 首渡しょとも しかけた間男 止められぬ いつも来もせぬ この綾錦 丈がないので 結ばれぬ 今も鳴る 正午の鐘は 古い城下を 思わせる 唄えと 責めたてられた 唄が出ないで 汗がでる 唄の出処は 大町小町 唄うて流すは 下小町 梅は岡本 桜は吉野 蜜柑紀伊国 栗丹波 大きな魚 おらが釣り上げた 川原柳の 下流れ 大町衆にゃ 限るではないが お酒の呑む人 どなたでも 裏の三度豆 筍入れて 落とし玉子は なおよかろ 和尚様に 帯買うてもろた 品がようて 柄がようて 勿体のうて 締められぬ 和尚様に ゆもじ買うてもろた 幅がようて 模様がようて 勿体のうて 締められぬ 押せ押せ 村上の船頭 押せば瀬波が 近くなる 押せ押せ 新潟の船頭 押せば新潟ヤも 近くなる お茶は水がら 子は育てがら 下女とはさみは 使いがら お寺の前で 音頭取ったおなご 年は若いが 唄上手 男情なし この博多帯 とかく丈がない 切れたがる 踊らば 今夜限り 明日の晩から 踊りゃせぬ 踊りくたびれた 藁草履切れた 明日の朝草 なじょにしょや 踊り子 何故足袋履かぬ 履けばよごれて 底切れる 踊らば 今夜だに踊れ 明日の晩から 踊られぬ お前様に 七分通り惚れた あとの三分は 想うてくれ お前さんに 限るではないが お金のあるひと どなたでも お前さんに 何言われたとても 水に浮き草 根に持たぬ 思うて通えば 千里も一里 逢はで戻れば また千里 面白うて 足が地に着かぬ イヤお狐コンコンでも ついたやら 親の意見と なすびの花は 百に一つも 無駄はない お城山から 粟島眺め 心浮き橋かけて見る 俺とお前は 御門の扉 朝に別れて 夕に合う 鍛冶町から 鍾馗さま出ても 肴町通いは 止められぬ 上総ヤは 木綿の出処 兎角丈がないで切れやすい 鐘を叩いて 仏様であれば 鍛冶町若い衆は みな仏 髪は本田に 結うてはみれど 心島田に 結いたがる 通うてくれ 霜枯れ三月 花の三月 誰も来る 河内様 よく聞き分けて 二度と頼まぬ 今一度 可愛うて良うて 目が離されぬ これが他人だと 思われぬ かわら毛だとて 御諸願掛けた お鎌で刈るよな 毛が生えた 雲に架け橋 霞みに千鳥 お呼びないこと おしゃんすな 来るかやと 上下ながめ 川原柳の 音ばかり 下渡羽下の淵 どこの在郷だと思うな 村上五万石 目の下に 下渡山に お振り袖着せて 奈良の大仏様 婿にとる 来いとおじゃれば 身はどこまでも 下は南部の はてまでも 鯉の滝のぼり 何と云うてのぼる つらいつらいと 云うてのぼる 郷内おんちゃ 曲がりがね呑んだ のどにはばけないで よく呑んだ 声の枯れるのも 身のやつれるも みんなお前の ためだもの 声の出ないとき 馬の尻ツビなめれ 馬の尻ツビから スコタンコタンと コエがでる 心急けども 今この身では 時節待つより 他はない 腰にひょうたん下げ 相の風吹けば 飛んで行きたや お滝様 こぼれ松 手でかきよせて お前来るかと 焚いて待つ 在郷のとっつあ モッコにかて飯 ほうの葉に握り飯 親の代から 一代二代三代伝わる 桐の木ずんぐり あかつか煙草の こ臭いところを こてこてと詰めた 山辺里馬市 馬買いに 下がりの藤 手は届けども 人の花なら 見たばかり 鷺の首 べらぼのように長うて おまえさんと寝た夜の 短かさよ 五月節句は 蓬に菖蒲(あやめ) わしは御前に のぼる鯉 山辺里橋 真ん中から折れた 今にどの橋 渡ろやら してもしたがる 十六七娘 親もさせたがる 繻子(しゅす)の帯 島田まげ 蝶々が止まる 止まるはずだよ 花だもの しゃきとしゃあれ のげはばたしゃたと あじなものだよ きせるさし しょったれ嬶 鍋でけっつあろた いけとっつあ魂消て おはちで褌あろた 白と黒との 碁盤の上で せきを争う 浜千鳥 城山から 大川みれば 流れまかせの いかだ乗り 城山から 川口見れば お滝不動 鉄の橋 城山から 下見下ろせば 茶摘み桑摘み たのしげに 城山の あの頂へ 金のしゃちほこ かざりたや せめて雀の 片羽欲しや 飛んで行きたや お滝様 雪下駄の 裏打ち金よ なるもならぬも 金次第 千松山 そよ吹く風は 流れ流れて 滝不動 大工さんとは 名はよけれども 真の心は 曲がりがね 大仏様 横抱きにして お乳呑ませた 親みたや 出せ出せ 出さねば破る 娘出さねば 壁破る 出せとは俺から言わぬ お前こころに あればこそ 例え胸に 千把ャの 萱焚くとても 煙ださねば 人知らぬ 月は傾く 東は白む 踊り連中も ちらほらと 出た出た 今朝出た舟は 波に押されて 磯廻る 出て行く 煙が残る 残る煙が 癪となる 寺の前で 音頭取った女御 なりは小さいども 唄上手 天守のやぐらの お羽黒様は 七日祭の十日の湯立 親にかいても 見にござれ どうでもしやんせ どうにでもなる私 お前任せたこの身 どんどうと 鳴る瀬は 何処よ あれは瀬波の お滝様 どんぶり鉢 落とせば割れる 娘島田は 寝て割れる バカ長い町だ 足駄カンコで通うた 金の足駄も たまりゃせぬ 並べておいて 縦縞きせて どれが姉ちゃやら おばちゃやら 並べておいて 縦縞着せりゃ どれが姉やら妹やら 縄帯締めて 腰には矢立 瀬波通いは 止められぬ 新潟ャの 川真ん中で あやめ咲くとは しおらしや 主と別れて 松の下通れば 松の露やら 涙やら 寝むられないと 夜中さなかに起きて 人目忍んで 神頼み 羽黒様から お滝様見れば 出舟入舟 帆掛け舟 花のようなる 宝光寺様に 朝日さすまで 寝てみたや 一夜は緞子(どんす)の枕 あすは浮き舟 波枕 踏め踏め踏め 角力取るときは 土俵へこむまで ドンと踏め ぼっこれても 骨離れても わたしゃ要で 止めておく 惚れて見るせいか 乱れし髪も 金の瓔珞(ようらく)下げたよだ 盆だてのんに 何着て踊る 笹の葉でも着て 踊りガサモサと 盆の十六日 暇くれと願うた ササゲ和え物鉢 取って投げた 盆も過ぎれば 十五夜も過ぎる 露に放れた きりぎりす 待ってくりゃんせ 血が出て困る 紙でも夾めましょ 草鞋くい ままよ滝田や 高雄でさえも お呼びやせぬぞえ 紅葉狩り 三面川 水晶のような流れ 玉の瀬の音 さらさらと 三面川 宝の蔵よ あれを見やんせ 鮭の群 三日月様 何故細々と 細いはずだよ 病みあがり むすめ 島田に 蝶々が止まる 止まるはずだよ 花だもの むすめ 十六七 抱き頃寝頃 おっちょこちょいとまくれば 会わせ頃 むすめ 十六七 渡し場の船よ 早く乗ってくりゃんせ 水が出る 娘十六 ササギの年よ 親もさせたがる 針仕事 村上 色香の町よ 堆朱堆黒 茶の香り 村上だよ 良い茶の出どこ ならび鮭川 山辺里織り 村上は 良い茶の出どこ 娘やりたや お茶摘みに 村上は 良い茶の出どこで のぼれば葡萄の ぶどう酒(さけ)と 下れば松山温泉だ ならび鮭川 山辺里織り もっくらがして 親衆に見せた 親衆ぶったまげて 嫁捜す もっともだよ 御行様さえも おやま掛け掛け めろめろと 揉めや揉め 揉まねばならぬ 揉めば茶となるお茶となる ![]() 帰命頂礼釈迦如来 阿難尊者のおん慈悲に こたえて説かる施餓鬼法 この世はみたまかずかずの いまだに迷う業の世や 救いの道はただひとつ 心施物施の布施の行 南無や大悲の観世音 十方諸佛十方法 十方僧に供養せん 神咒お加持の功徳力 この土を清くやすらかに 慳む心を捨てさりて 発菩提心この世界 全てのねがい叶うなり 南無や五如来その利益 むさぼるこころ除かれて 福徳智慧を円満し 身心共に晴れやかに 受ける施食も恐れなし 有縁無縁のへだてなく その悦びのしあわせは 行う人の身にやどり わざわいの雲打ち拂い 世々長寿受くるらん 天下法界 同利益
ただ忍べ
腹立てば まずそのままに 寝るがよし 覚むれば 心直るものなり 腹を立つ 心より火の 燃えいでて 我と我が身を 焦がしこそすれ 世の人の 蛇けんを抜いて かかるとも 我が了見の 鞘に納めよ 雨にふし 風になびける なよ竹は よよに久しき ためしならずや 足元に 道はありけり とどめずば くぐらすもまた くぐるのもまた 人の胯 くぐって恥じぬ かしこさに 智者のかがみと 今にほめられ ただ忍べ 人の人たる みちのくの しのぶの外に みちあらめやは 塵ばかり 怒らで しのびてぞ 山より高く 徳はつもらん 堪忍の 堪忍の なる堪忍は 誰もする ならぬ堪忍 するが堪忍 堪忍の なる堪忍が かんにんか ならぬかんにん するが堪忍 かんにんは 必ず人の ためならず つまるところは 己が身のため 駆けいだす 心の駒を 引きとむる 手綱となせよ 堪忍の二字 かんにんの 神の利益ぞ あらたなる われはらくして 人はよろこぶ 錦にも 綾にもあらぬ 堪忍の 袋のひもは 見事なりけり 堪忍の 袋を常に 首にかけ 破れたら縫え 破れたら縫え 堪忍は 駿河第一 富士の山 三国一の 徳となるらん 愚痴短気 りん気怒りの 胸の火を なだめ沈むる 堪忍の徳 辛抱と 堪忍するが 何よりも よろず仕遂ぐる 伝授なりけり 堪え忍ぶ 心しなくば 誰もみな 欲と怒りに 身をばたもたじ 何事も ただ堪忍の この箱へ 世世納めたる 家ぞめでたき 人の身の 慎むわざは 多けれど まづ堪忍を 第一にせよ むかむかと 限りなく いかに腹立つ ことありと 顔をそんじて 声高くすな むかむかと 腹のたつとき かえり見よ 理か非かまたは 短慮なるかと 青筋の 額に角が 顕はるる 内にねたみの とがりある故 焼き餅は 遠火で焼けよ 焼く人の 胸も焦がさず 味わいもよし 世の中に 人をそねむは 目に見えぬ 鬼よりもなお 恐ろしきかな いつわりも 偽らぬ ものと思いし 鏡すら 左と右に うつる世の中 いつわりも 人にいいては やみなまし 心の問わば いかがこたえん 人問わば 海を山とも 答うべし 心の問わば なんと答えん 人問わば とにもかくにも 答うべし こころが問わば 如何に答えん 偽りの あるをば知らで 頼みけん 我が心さえ うらめしの身や 八百の うそをじょうずに 並べても 誠ひとつに かなわざりけり 犬桜 咲かでも 春を送れかし 我が身の恥を われとあらわす えせものと 人にいわれん あさましや めをひきゆびを さされてはさて えせものは あたりにあるも むつかしや ましてむつびん 事はゆめゆめ えせものは 人の憂いを よろこびて よしときくをば そねむなりけり 世の中は うそばかりにて 過ぎにけり きょうもまたうそ あすもまたうそ さのみまた 人の心を うたがへば わが偽りの ほどぞ知らるる 真実で よし一時は 負けるとも 虚偽で勝つには まさりけるかな 真実の 目がさめたれば 世の中の 憂きもつらきも 皆嘘の皮 真実の 目が明かぬから うろたへて 我と我見る 憂い目つらい目 へつらわず へつらわず おごることなく あらそわず よくをはなれて 義理を案ぜよ 人に負けて 己に勝ちて 我を立てず 義理を立つるが 男伊達なり へつらわず おごることなく 争わず 欲を離れて 義理を案ぜよ 知らぬこと 井の中の 蛙と身をば 思いつつ 知らぬことをば ただ人に問え 知らぬ道 知ったふりして 迷うより 聞いていくのが ほんの近道 我を捨てて 人に物問い 習うこそ 智恵をもとむる 秘法なりけり 大事をば 一人計らう ことなかれ 心得たらん 人に問うべし 知らぬこと 知った顔して いわしゃるな 口を開くと はらわたが見ゆ 何事も 知らぬが仏 しったとは いまだ凡夫の ときの名なりし 教えおく 古えの 人の踏みけん 古道も 荒れにけるかも 行く人なしに 古えの 道を聞いても 習うても 身の行ないに せずば甲斐なし かいなしや 今日は昨日の 過ちを 思い知りても 改めぬ身は 教えおく ことたがわずば 行く末の 道遠くとも 後は惑わじ 折々に 遊ぶいとまの ある人の いとまなしとて 文読まぬかな 可愛くば 二つ叱って 三つ褒めて 五つ教えて 善き人にせよ さまざまの 教えはあれど 悪を止め 善をするより 外に道なし 天道は 物言わずして 教ふるを 見つけぬうちは 常闇の国 人の身に よきことあらば おのれまた およばぬまでも 学ぶべきなり まなぶべし 山猿さえも 教ふれば 立ち舞うわざは なすものぞかし 諸人の 教えとなりし ひとことは 千々の黄金に かえんものかは 世の中を やすやすわたれ 古人の 聖のふみを 道のしおりに わが子女を 怠惰となすも 朝夕に 母の教えの 一筋による 怠らず 怠らず 行かば千里の 末も見ん 牛の歩みの よし遅くとも 養生は ただ働くに しくはなし 流るる水の くさらぬを見よ よどみなき 水にほこりの 張る間なし 見るにつけても 稼げ世の中 上々も これは及ばず 我々が 働いて食う めしのうまさよ 雨だれに くぼみし軒の 石みても 堅きわざとて 思いすてめや 立てそむる 志だに たゆまねば 竜のあぎとの 玉もとるべし 末ついに 海となるべき 山水も かねて木の葉の 下くぐりけん 吉野川 その源を たずぬれば まこもの雫 花の下露 よしのがわ たずねてみれば 水もなし 茨の下の 松の葉の露 人はただ 朝起きの 家は朝日が 差し込んで 貧乏神の 入りどころなし 朝寝する 家は朝日が 取り巻いて 貧乏神の 出どころもなし 稼ぎなば 貧乏神は 裸足にて 追いつく隙は さらになからん 一日に 一時づつの 早起きは 月に五日の 長生きぞかし 口ひとつ 過ごす鶏さえ 七つ起き 人と生まれて 朝寝するとは この秋は 水か嵐か 知らねども 今日の勤めに 田草取るなり 生業を 勉むる道の 奥にこそ 黄金花咲く 山はありけり 春くれば 夏くるものを 拵えて 今日一日も あだにくらすな 春日から 夏秋の冬の ことをせば 時にあわねど 時にあうもの 人はただ まめではたらく こそよけれ ああままならぬ 浮世次郎兵衛 人はただ まめで四角で 柔らかく 豆腐のように 変わらぬがよし 見渡せば 富み貧しきは なかりけり おのれおのれの 勤めにぞある 行く水に 身をばまかせて 人のため いそしみめぐる 水車かな 金銀も 世の中に 花も紅葉も 金銀も 与えてあるぞ 精だして取れ 苦にやむな 金は世上に 撒いてある 欲しくばやろう 働いて取れ 田や山に 金はいくらも 捨ててある 鍬で掘り出せ 鎌で刈り取れ ふめたたら たたらふめふめ ふめたたら 精さえだせば 金はわきもの 求むれば 求むるままに 月雪も 花も紅葉も 玉も錦も 月雪も 花も紅葉も ぜに金も 我が身にあるぞ 働いてとれ 世の中は 蝿取り蜘蛛に ふくろ蜘蛛 かせぐのもよく かせがぬもよし 一銭も そまつになさず 種とせば こがね花咲く 春に逢うべし 一銭も あだに使うな 一粒が 万倍になる ことを思えば けんやくの 伝授というは ほかになし こらえぶくろの 紐のしめよう 算盤は 嘘をおかさず 無理させず これにまかせば 家内安全 金かねと やたらに金を かきこんで 金の重さに 腰が折れけり ぜに金を 我がもの顔に 頼むなり おっつけ土と なるも思わで 火の車 金持ちと 朝晩すつる 灰吹きは たまるほどなお きたないと知れ 金貯まる 人の心と 灰吹きは たまるほどなお 汚くなるぞ 金持ちが あるが上にも 金銀を 増やしたがるを 貧人という 金銀を 使い捨てるも たわけ者 食わずにためる 人も馬鹿者 金銀は 世の宝なり たくわえて 人のためとも なすぞ尊き いつの世も 世間知らずの 義理知らず 情知らずが 金持ちとなる めでたやな 下戸の建てたる 倉もなし 上戸の倉も 建ちはせねども 金ほしや 地獄の沙汰も 金次第 とはいえ金で ゆかれぬ極楽の道 金をのみ 欲しがる人ぞ おかしけれ こがねがめしの 代わりやはする 火の車 つくる大工は なけれども おのがつくりて おのが乗りゆく 貧苦をも いとわず今日を 稼ぎなば 明日は分限と なれる世の中 貧乏の 棒もかせげば おのずから 振り回しよく なるも世の中 貧乏は すまじきものぞ すそ綿の 下から出ても 人にふまるる 不義にして 集めたくわう 銭金は 積もりて後に 身のあだとなる 福の神 祈る間あらば 働いて 貧乏神を 追い出せかし よい仲も 近頃疎く なりにけり 隣に倉を 建てしより後 若きこと 二度はなしとて 楽するな 年は寄りても なぐさみは金 金かねと 騒ぐ中にも 年が寄り その身が墓に 入相の鐘 苦しみて 一生は 旅の山路と 思うべし 平地は少し 峠沢山 苦しみて 後に楽こそ 知らるなれ 苦労知らずに 楽は味なし 何一つ とどまるものも ない中に ただ苦しみを 留めて苦しむ 人のため 身を惜しまぬは 仏なり 楽をしたがる もとはこれ鬼 得たるとて 得たるとて 強いて過ぐすな その技を 隠せば光 いや増しにけり 何事も 我をあやまり 順いて 負けてさえいりゃ その身安心 はしなふて 雲のそらえは のぼるとも おれがおれがは 頼まれはせず おのが目の 力で見ると思うなよ 月の光で 月を見るなり たらちねの 親の残せし 形見なり いや慎しまん 我が身ひとつを 言うべきを 人まえに 思案もなくて ものいうな 言いていわぬに おとることあり 浅き瀬は 波風高く 聞こゆれど 深き浦には 音はなきなり 何事も われ知り顔の 口たたき 詰めたる樽は 鳴らぬものかな 世の中は なにもいわずに いよすだれ そのよしあしは 人に見え透く 言うべきを 言わざるもまた 言わざるを 言うも道には かなわざりけり 善きことは 大いに広め 悪しきをば 見ざる聞かざる 言わざるぞよき 雑談に 心の奥の 見ゆるかな 言の葉ごとに 気を使うべし つつしみを 人のこころの 根とすれば ことばの花も まことにぞ咲く 空言は ことに妄語の 罪ふかし 我が身もまどい 人もそこなう 月も日も さやかに照らす かいぞなき この世の人の うわの空言 人の口 むつかしや ねといくどいや 無用なる ことをばたずねき かであるべき 偽りの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまじ 恐るべき 槍より怖き 舌の先 これが我が身を つき崩すなり かりそめの 言の葉草に 風立ちて 露のこの身の 置き所なし ご主人の 内のことをば 外に出て よしあし共に いうなかたるな 三寸の 舌で五尺の からだをば 養いもする 失いもする たれ込めて 己にただせ 世の中の ほめる言葉も そしる声をも 虎に乗り 片割れ船に 乗るとても 人の口端に 乗るな世の人 人のこと 我にむかいて 言う人は さこそ我がこと 人にいうらん 人ごとを 我にむかいて いう人は さぞ我がことも 人にいうらん 世の中は 虎狼もものならず 人の口こそ なおまさりけれ 今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくもわらうも うその世の中 涼しいけりゃ 涼しすぎると 人の口 戸はたてられぬ 夏の夕暮れ 天地の 開けぬ先に 歌うらん 卵の中の にわとりの声 つとめても つとめても また勤めても つとめても 勤めたらぬは つとめなりけり 器用さと 稽古と好きの 三つのうち 好きこそものの 上手なりけれ つるべなは おりつあがりつ 働きて ふづとめはせぬ 非番当番 花になり 実になる見れば 草も木も なべて務めは ある世なりけり 笛吹かず 太鼓たたかず 獅子舞の 後足になる 人もあるなり 世渡りは 狂言綺語と 同じこと 上々も役 下々も役 人使う 身になればとて 使わるる 心となりて 人を使えよ 寒に耐ふ 梅も操の 高ければ 慕いくるらし 谷の鴬 慈悲もなく 慈悲の目に 悪しと思う 人はなし とがある身こそ なおあわれなれ 慈悲もなく 恩をも知らず 無道なる 人の心は 狗におとれり 他を恵み 我を忘れて 物事に 慈悲ある人を 仁と知るべし わが恩を 仇にて返す 人あらば またそのうえに 慈悲をほどこせ 慈悲じゃとて 施すものは 虚栄心 受ける者には 増す依頼心 月と日と 朝起きて 夕べに顔は 変わらねど 何時の間にやら 年は寄りけり 明日ありと 思う心に だまされて 今日をむなしく 過ごす世の人 一刻の 未来のほども 計られず いかで一時を あだに過ごさん 今さらに なにおどろかん 神武より 二千年来 くれてゆく年 昨日といい 今日と暮らして あすか川 流れて早き 月日なりけり 花は根に 鳥は古巣に 帰るとも 人は若きに 帰ることなし 引き留めて 止まらぬものは 月と日と ながるる水と 人の命よ 若いとて 末を遥かに 思うなよ 無常の風は 時を嫌わじ 後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なりとは 自慢せず くらぶれば 長し短かし むつかしや 我慢の鼻の おきどころなし 人にただ まけじと思う 心こそ やがてその身の かたきなりけり 学問は 人たる道を 知るためぞ 鼻にかくるな はなが折れるぞ 高慢を 口では言えど 口ほどに ゆきとどかぬが 多い世の中 智慧のある 人ほどものに 自慢せず 能ある鷹は 爪をかくすぞ 世に誇る 天狗の面も つくづくと 裏より見れば 穴ばかりなり 世の中に せまじきものは 我はがお そらごとぬすみ しょうぶいさかい 情けは味方 世にあれば 人も集まり きたれども おちぶれぬれば とう人もなし おちぶれて 袖に涙の かかるとき 人の心の 奥ぞ知らるる 水鳥の ゆくもかえるも 跡たえて されども道は 忘れざりけり めしつかう ものの心を その主の めをかけぬこそ わかれはじめよ 客あれば 犬だに打たぬ ものなるに 科ありとても 人な叱りそ 主だにも 心まかせに あらなくに 使うる者を いかにせめけん 人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり ほめばほめ そしればそしる 山彦の 声にも人は 情けとぞしる 極楽は 西へ向き 十万億土と 思えども よくよく見れば 弥陀は目前 西ばかり 弥陀の浄土と 思いつつ みなみにあるは 誰も悟らず 極楽は 西にあれど 東にも 来た道さがせ 南にもあり 苦も楽も ただ打ち捨てて 何となく いきのおわるを 仏とはいう 念仏も うわの空では 後の世の ためにもならず 寝言同然 極楽は いづくのはてと 思いしに 家業精出す 出直しの門 極楽は はるけき程と ききしかど 勉めていたる ところなりけり 極楽は 十万億の 先ならで 誠の心 これが極楽 色という 気も知らで 顔に化かされ 嫁とりて あとで後悔 すれどかえらず 色という 上べの皮に はまりては 世を渡らずに 身を沈めける 身を忘れ 十重も 廿重も 迷いけり 一重の皮の 美しきには 色という うわべの皮に はまりては 世を渡らずに 身を沈めける 老いたるも 若きも同じ 上皮の 色に我が身を 出し抜かれつつ 女郎花 匂うあたりは 心せよ 色香に道を 忘れもぞする 迷うなよ 美人というも 皮一重 醜婦も同じ 皮のひとえに 慎みは 慎みは 朝夕なるる 言の葉の かりそめごとの うえにこそあれ 慎みを 人の心の 根とすれば 言葉の花も 誠にぞ咲く 何事も みつれば欠くる 世の中の 月を我が身の 慎みにみよ 世の中を 恥じぬ人こそ 恥となれ 恥じる人には 恥ぞ少なき 人多き 人多き 人の中にも 人ぞなき 人になれ人 人になせ人 じひもなく 情も知らぬ ものはただ 人の皮着る 犬とこそ見れ こころよく 人事いわず いんぎんに 慈悲ある人に 遠慮ある人 仁は海 義は高山の 姿なり 誰もかくこそ あらまほしけれ 馴れ馴れて いかに親しき 仲なりと 心にふだん 礼をわするな 掃き掃除 礼儀配膳 何事も じだらくにせず 清くととのへ 勇の字は マことの頭 田けき腹 力あふるる 姿なりけり 世の中の 親に孝ある 人はただ 何につけても 頼もしきかな 世の中の 人のためとて 身を削る 鰹節こそ 味の王なれ 世の中の 人をあしとも 思うなよ 我だによくば 人もよからむ 利口ぶり 言葉多きと 片意地と 短気不律儀 嘘にてもすな あしきとて 煩悩も もとは菩提の 証拠には 渋柿をみよ 甘干しとなる あしきとて ただ一筋に 捨てるなよ 渋柿をみよ 甘干しとなる 悪しきとて ただ一筋に すつるなよ 渋柿を見よ 甘柿となる 春の野に 目立つ草木を よく見れば さりぬる秋の たねにぞありける 山水も 木の根岩が根 くぐらずば 大海原に いかで出づべき 千枝もも枝 しげれる松も そのもとは ただふたばより 生えそめにけり 正直の 正直の 神はやどると 頭から 足の先まで 無理非道すな 正直に 建った柱は 細くとも 羽ありもつかず 朽ちもせぬなり 正直に 人の心を 持つならば 神や仏の 守りあるべし 正直に 起きて守れば おのずから 神がみ我を守りたまうぞ 正直の 胸のうちこそ 浄土なれ 仏もあれば 極楽もある 正直の 杖を力に ゆくこそは 欲に目のなき 人にまされり 正直の 頭に宿る 神こそは 家繁盛の 元結なるべし 正直を 心にかけて ますかがみ かげひなたなく つとめ働け 貧しきも わがいえは 青天井に 地のむしろ 月日をあかり 風のてははき 気は長く 勤めはつよく 色うすく 食ほそくして 心広かれ 貧しくて 心のままに ならぬのを 憂とせぬのが 智者の清貧 貧しきも 富めるも楽も 苦しみも 夢でこそあれ 夢でこそなし 身を軽く 身を軽く こころ素直に 持つ者は あぶなそうでも あぶなげもなし 世にあうは 左様でござる 御尤も これは格別 大事ないこと 世の中は 諸事おまえさま ありがたい 恐れ入るとは 御尤もなり 片寄らず 我が身は船と 心得て 時勢の風に 逆らわず行け 不理屈を いうていっぱし われひとり 理屈のように 思う世の中 降ると見ば 積らぬ先に 払えかし 雪には折れぬ 青柳の糸 降るままに 靡き伏しつつ なよ竹は なかなか雪の 折るべくもなし 真っ直ぐに 行けば迷わぬ 人の道 横筋交いに 行きて尋ぬる 嫁入りの その日のことを 忘れずば 婿姑に きらわれはせじ
争いは
仮の世の 仮の宿りの 仮垣に なわばりをして 長短とは 兄弟が 田を分け取りの 争いは たわけものとや 人のいうらん 仮の世に 仮の宿りの 垣に 縄張りをして 長短かとは あらそいの 握り拳も 開くれば 可愛いと撫でる 同じ手の先 あらそいは げに山びこの こだまかや わが口故に 先もかしまし あらそわぬ 風に柳の 糸にこそ 堪忍袋 ぬふべかりけれ ありという 人に地獄は なかりけり なしと思える 人にこそあれ 気もつかず 気もつかず 目にも見えねど 知らぬ間に ほこりのたまる 袂なりけり なき物を 仕出す宝の 手を持ちて ただおく人ぞ 愚かなりけり 水壺の 水はいつでも 清けれど わが不精から ためる水垢 夜遊びや 朝寝昼寝に 遊山好き 引っ込み思案 油断不根気 悪いとは 知りつつ渡る ままの川 流れて淵に 身を沈めけり 借りるときは 頭の上に いただけど 返さぬ傘は 足下にあり 事足れば たることを 知るこころこそ たから舟 世をやすやすと 渡るなりけり 事足れば 足るに任せて 事たらず 足らせ事足る 身こそ安けれ 乏しかり 時を忘れて 食好み このみの多き 秋の山猿 道ならぬ 物をほしがる 山猿の 心からとや 縁に沈まん 千畳の 座敷持ちても なにかせん たった寝床は たたみ一枚 千両箱 富士の山ほど積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ 身を思う 心は身をば 苦しむる 身を思わば 身こそ安けれ 身のほどを 知れと教えし 伊勢の神 今もわら屋の 宮にまします 身を知らば 人の咎にも 思わぬに 恨み顔にも ぬるる袖かな 思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中 事足れば 足にも慣れて 何くれと 足がなかにも 猶嘆くかな 足る事を 知りからげして 身を軽く 欲の薄きに 福と寿はあり 破れたる 衣を着ても 足ることを 知ればつづれの 錦なりけり 壁に耳 悪しきこと 人は知らぬと 思えども 天に口あり 壁に耳あり 誰知ると 思う心の はかなさよ 天知る地知る 人の知るなり 壁に耳 石のものいう 世の中に 人知れずとて 悪しきことすな いつとなく 見知る聞き知る 蚤の息 天に通うと いう例えあり 壁に耳 石のものいう 世なりけり 露ちりばかり 盗みはしすな 人知れず 暗きところで なす業も 世に白波の 立たでおくべき 垣壁も 人の目口と 思いつつ 見聞かんことを 語りはしすな 知るまいと 思う心の 愚かさよ 月日の眼 あきらかに照る りょうけんし いかにかくすと 思へども ただよく人の しるは世の中 あこがれて 出てゆく後の 柴の戸に 月こそやがて 入り代わるらむ なせばなる なせばなる なさねばならぬ なにごとも 成らぬは人の なさぬなりけり 一筋に 思い射る矢の 矢先には 堅くと見ゆる ものなかりけり 虎とみて 石にたつ矢も あるものを なぞか思いの 通らざるべき おしどりの みなるるほどは つれなきを 下苦しとは 知るらぬや人 見ればただ 何の苦もなき 水鳥の 足に暇なき 我が思いかな 世にあるを 思えば人の しもべかな 上に使われ 下に使われ 雨霧に うたるればこそ 紅葉葉の 錦を飾る 秋はありけれ 井戸掘りて 今一尺で 出る水を 掘らずに出ず という人ぞうき 憂きことの なおこの上に つもれかし かぎりある身の 力ためさん 惜しまれて 玉となる身は いさぎよし 瓦とともに 世にあらんより 思うままに ならで逆目に 立つ板は おのが鉋に 錆のあるゆえ 重くとも 我が荷は人に 譲るまじ 担うにつけて 荷は軽くなる 今日限り 今日限り 今日を限りの 命ぞと 思いて今日の 勤めをばせよ 苦と楽の 花咲く木々を よくみれば 心の植えし 実の生えしなり 小石をも よけてそろそろ はびこりて 木の根はついに 岩をわるなり 千万石 積み重ねたる 米の山も ひとつひとつの 俵よりなる 千里ゆく 道もはじめは 一歩み 低きよりして 高く登りつ 丹精は 誰知らずとも 自ずから 秋の実りの まさる数々 長命を 祈らぬ人は なかりけり まこといのらば 朝起きをせよ なるように なろうというは 捨て言葉 ただなすように なると思えよ 花見とは 稲の花見が 花見なり 吉野初瀬は そのうえのこと 身にもてる 玉と雖も 磨かずば あたら光の 世には知られじ 身にもてる 心の玉の くもりなば ふみ読むわざも 甲斐やなからん 実るほど 稲はうつむく 人もまた 高き身とても 奢らぬぞよき 昔蒔きし 木の実大木と なりにけり 今蒔く木の実 後の大木ぞ 道という いのちより 名こそ惜しけれ もののふの 道にかふべき 道しなければ 思いみれば この身の外に 道もなし 身をまもるこそ 道をしるなれ 聞きてよし 言えばなおよし 行なえば いとも妙なる 人の道かな 心をば 心にさとす 心こそ まことに道を なすといはまし ともすれば あらぬ方にと 踏み迷う 教え難きは 人の道なり 人心 悪しき道には 入りやすし 朱に交わりて 赤恥をかく 道という 言葉に迷う ことなかれ 朝夕おのが なす業と知れ 見渡せば 果てしも知れぬ 荒海も わたらば渡る 道はありけり 闇の夜も 心の月の 出でぬれば いづこへ行くも 道は迷わず 梁伝う 鼠の道も 道なれど まことの道ぞ 人の行く道 あみの糸 一つすじめの 違うゆえ 乱れにけりな 人の世の中 思いみよ 暁の 寝覚めになりと 思いみよ 日々に三たびは 省みずとも 奢ったり 遊んだりした 仕返しに 難儀な年の 尻がくるなり 釈迦もまた あみだも元は 人ぞかし われもかたちは 人にあらずや 人のただ よかれと思う いさめごと 耳に入らぬぞ 愚かなりける 人我に 辛きも人を とがめずて 我が身の悪き 影とこそ知れ 道の辺の 草にも花は 咲くものを 人のみあだに 生まれやはする 若きとき 学ばぬ悔いを かみしめる 奥歯なきまで 身は老いにけり 我が宿に やしないおける 犬だにも うち罵りて 責めじとぞ思う 我が善きに 人の悪しきは なきものぞ 人の悪しきは 我が悪しきなり 身をすててこそ 山川の 末にながるる とちがらも 身をすててこそ 浮かぶ瀬もあれ 河水に 流れ流るる ちから藻も 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ みる人も みらるる人も うたたねの 夢幻の 浮き世ならずや 憂きことは 世にふるほどの 習いぞと 思いも知らで なになげくらん うつせみの もぬけのからと 身はなりて 我もあらばこそ ものおしはせめ 夏蝉の もぬけて果てる 身となれば 何か残りて ものおじをせん なぜさすり 大事にするも 手あぶりの つめとうならぬ うちでこそあれ 顔くせを 常にたしなめ とがなくて 世ににくまれて なににかはせん 木に竹の 無理はいうとも そこが親 いわせて桶屋 たが笑うとも 手を打てば 下女は茶を汲む 鳥はたつ 魚寄り来たる 猿沢の池 手を打てば 鯉は寄り来る 鹿は逃ぐ 下女は茶を汲む 猿沢の池 惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けめ 憂きことは 哀れとも うしともいわじ 陽炎の あるかなきかに 消ゆる世なれば いづくにも 心とまらば すみかえよ ながらへぬれば 元のふるさと 憂きことは 世にふるほどの ならいぞと おもいも知らで 何嘆くらん 憂きことも 知らで千年も 経る田鶴の 清き心に ならへ世の人 鴬が 法華経を説くと いうならば 雀は忠忠 烏は孝孝 美しき 花に良き実は なきものぞ 花を思わず 実の人となれ おしなべて 心ひとつと 知りぬれば 浮世にめぐる 道も迷わず 思えただ 満ればやがて 欠く月の 十六夜の空や 人の世の中 聞きしより 思いしよりも 見しよりも のぼりて高き 山は富士が嶺 聞けや人 忠とあしたに 雀の子 孝と夕べに 鴉鳴くなり 暗きより 暗き道にぞ 入りぬべし 遥かに照らせ 山の端の月 ここもうし かしこもうしと 嫌うなよ いずこも同じ 秋の夕暮れ 心より よこしまに降る 雨はなし 風こそ夜半の 窓を打つらめ 帰らぬ昨日 心から 流るる水を せきとめて おのれと縁に 身を沈めけり 咲く花を 歌によむ人 ほむる人 さかせる花の もとを知れかし 咲くもよし 散るも吉野の 山桜 ただ春風に 任せてぞみん 桜花 けふこそかくは におふらめ 頼みがたきは 明日の夜のこと 差し当たる 今日のことのみ 思えただ 帰らぬ昨日 しらぬ明日の日 三度炊く 飯さえこはし 柔らかし 思うままには ならぬ世の中 死ぬるのみ 一大事かは 人はただ 生ける間ぞ 一大事なる 年を経て 浮き世の橋を 見かへれば さても危うく 渡りけるかな 万能に 足りてももしや 一心が 足らぬと役に 立たぬ世の中 人は皆 持ちつ持たれつ 世をわたる 一人離れて 保つべしやは 人皆の 選ぶが上に 選びたる 玉にも傷の ある世なり 人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に上がらぬ 渡しもりかな ぶらぶらと 舟と水と 仲良くてこそ 世を渡れ 心の荒き 浪風ぞ憂き ぶらぶらと 暮らすようでも ひょうたんは 胸のあたりに 締めくくりあり 水車 みずから臼の みずからは することも知らで 米やしらげん 世の中に 身のとりどころ なかりきと いわれんことや 無念ならまし 世の中は 兎と亀の かけくらべ はやいからこそ おそくなるなれ 世の中は かくぞありけり 猿の手の 左のぶれば 右は短し 世の中は ふくべの尻で 鯰の尾 おすが如くに わたるべきなり 世の中は 何をいまはの 苔むしろ ただ働くに しくものぞなき 世の中は 回り合わせば 擂鉢の 甘き日もあり 辛き日もあり 世の中は 月に村雲 花に風 思うにわかれ 思わぬに逢う わが性の 人にかくれて 知られずば たかまのはらに 立ち出でてみよ 悪いこと 人は知らぬと 思うなよ 天に口あり 壁に耳あり すまば澄め にごらば濁れ 月影の 宿らぬ水の あらばこそあれ 我が身だに 我がままならぬ 世の中に 思うままには ならぬ世の中 天地と 分かれし中の 人なれば 下を恵みて 上をうやまへ 世の中は 人の上のみゆかしけれ うらやむわれも うらやまれつつ 這えば立て 誰もみな こころは父の 形見なり はずかしめなよ 己がこころを 誰もみな からだは母の 形見なり きずつけなよ 己がからだに 世の中に 思いやれども 子を恋うる 思いにまさる 思いなきかな 思いやれ 使うも人の 思い子ぞ わが思い子に 思いくらべて 花ならば またくる春も 咲きぬべし 散りし吾が子は 帰らざりけり 這えば立て 立てば歩めの 親心 吾が身に積もる 老いを忘れて いつまでも あると思うな 親と金 ないと思うな 運と災難 いつまでも 親の目からは 子供なり 子供心に なすが孝行 芋を見よ 子に栄えよと 親やせて えぐうなったり 甘うなったり おのが子の 巣立ち誘いて 野の雲雀 手もおよぶべき 空にてぞ鳴く 親の子を 思うほどには 子も親を 思うて親に つくせ子の道 孝行を したい頃には 親はなし 孝のしどきは 今とこそ知れ 孝行を 肌身こころに はなさずば いづくへゆくも 怪我はあるまじ たらちねの 心の闇を 知るものは 子を思うときの 涙なりけり 父母の恩 山より高く 底深き うみの親ほど 尊きはなし はかなしや はかなしや 朝見し人の 面影の 立つは煙の 夕暮れの雲 これもみよ 満つればやがて 欠く月の いざよう空や 人の世の中 咲かざれば 桜を人の 折らましや さくらのあだは 桜なりけり むりなりと むりなりと 思いながらも いいかかる 性を性にと するは人かは 成功を 急げば無理の 出るものぞ 無理のないよう 無理のないよう 思うべし 人はすりこぎ 身は杓子 思いあわぬは われゆがむなり 姑めの 杓子当りが ひどければ 嫁ごの足が すりこぎとなる 何事も 時ぞと思え 夏来ては 錦にまさる 麻のさ衣 名は末代の 下駄足駄 刻みかえれば 釈迦阿弥陀 かわればかわる ものにぞありける 聖人と いうは誰かと 思いしに おらが隣の 丘のことなり おもうべき ものは身よりも 名なりけり 名は末代の 人の世の中 油断こそ 油断より 小事大事に なるものぞ こころをつけよ 事の初めに ゆだんすな いたずらものの 我が心 日々に直して よく使うべし 油断こそ 大敵なりと心得て 堅固に守れ おのが心を ゆだんすな 身は鴛鴬の 仲なりと 淵瀬にかかる 人の心ぞ ゆだんすな 比翼連理の 仲なりと 淵瀬に変わる 人の世の中 甘いかと 思えば渋が またかえり 油断をすれば 恥の柿の実 大石に つまづくことは なしとても 小石につまづく ことな忘れそ 折りえても 心許すな 山桜 さそうあらしの 吹きもこそすれ 心せよ 蛍ほどなる 煙草の火 心ゆるせば 早鐘の音 小敵よ 弱き敵よと 油断すな あなどる故に 負けをこそとれ 束の間も 油断をなすな 一時が 千里の違いと なると思いて 夏草の おのが時とや しげるらん 霜にもあはむ 秋も思わで 用心の 良いも悪いも その家の 主ひとりの 了見にあり 世渡りは 浪の上いく 舟なれや 追手よきとて 心ゆるすな わざわいの 門口なれば 油断なく 心の内の 慎みをせよ 欲深き どんよくの 心を種に 植えおきし こがねの花は 散りやすきなり 落ちて行く 奈落の底を 覗き見ん いかほど欲の 深き穴ぞと おのが身の 主人を知らで 欲という いたづらものに まかすあぶなさ 欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる 兄弟の 中も互いに 敵となる 欲は激しき 剣なりけり 欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を離るる おそるべし 欲のほのほは 激しくて 我が身も家も 人も焼くなり 物事の 一つかなえば また二つ 三つ四つ五つ むづかしの世や 毒多き 毒の中にも 気の毒は なにより毒な ものでこそあれ 世の毒は 口から入れど 気の毒は 目から鼻から 耳からも入る 急がずば 急がずば 濡れざらましを 旅人の 後より晴れる 野路の村雨 ころころと 転げやすきは 人心 転げぬように 心して持て もののふの 矢走のわたし 近くとも 急がば回れ 瀬田の唐橋 きっぱりと 埒の明きたる 世の中に 埒を明けぬは 迷いなりけり 散りぬれば 後は芥に なる花を 思い知らずも 惑う蝶かな われという その角もじを 折りつくせ 迷い悟りも 忘れ抜くほど 上見れば 上見れば 及ばぬことの 多かりき 笠見て暮らせ おのが心に 上見れば 及ばぬことの 多かれど 笠ぬぎてみむ およぶ限りを 上見れば ほしいほしいの 星だらけ 笠着て暮らせ おのがこころに 下見れば 我に勝りし 者はなし 笠とりて見よ 天の高さを 融くれば同じ あめあられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水 雪氷 雨やあられと へだつれど 落つれば同じ 谷川の水 酒は心の 百薬の 長たるゆえに かえりては また百病の もととなる酒 慎めや 鏡は姿 見すれども 酒は心の 内を見すれば 空渡る 雁の一行 見るにつけ 世にうれしきは 友にぞありける よき事に むすびてわるき 事はなし 麻の中なる 蓬見るにも 堅けれど 砕くに易き 瀬戸物の 心を知れば ふれぬこそよき 夢の世に 夢の世に 夢の如くに 生まれきて 露と消えなん 身こそ安けれ 夢ゆめと 口にはいえど 悟りやらで 夢に夢見て 遊ぶ夢助 夢さめて 衣の裏を けさ見れば 珠かけながら 迷いぬるかな 夢の世と 思いながらも 厭わねば 誰がなすわざと その主をみよ 夢なれば 覚めなと思う 嬉しさに 寝返りもせず 待つぞ楽しき 借り切りと 思う間もなく 目が覚めて 乗合船の 夜半の起き伏し 仮の世を 仮の世じゃとて 仇にすな 仮の世ばかり おのが世なれば 一生を 夢とは知らず 覚めぎはに 夢と知りゆく 夢の世の中
子守り唄をばうたうて聞かしゃ うたやよいよい、よい子に成るぞ
その子どこにと尋ねてみれば どこに居るやら無明の闇で ありか知れねど余所(よそ)ではないぞ 母の胎内宿りしよりも ついに離れず身に引き添うて 熱い冷たいよしあし共に 指図次第に任せて置けば 悪い事せず善い事ばかり 神の仏もほかには無いぞ されど日々悪智慧ついて 気随気儘の手勝手仕出し いつの間にやらこの子宝に 凡夫頭巾をかぶせて仕舞ひ あたら宝の持ちぐさらしよ 酒と色とにその身はただれ 遊楽夜あそび朝寝と小言 欲に目のないばくちの勝負 勝てば勝ちたし負くれば惜しく 山をこかそか山からこかそ うそで世渡りや浮かべる雲よ 栄耀栄華も昨日の夢じや とかく正直正路に習へ 天地国王、主人や親の 恩の重きを心につけて 衣服食事におごりをするな 寒うひだるう無ければよいぞ 家財諸道具かざりはいらぬ 雨露(うろ)にあたらず用さへかなひ すめば住吉おごらぬ心 伊勢の太神(おおかみ)三杵(みきね)の御供(ごくう) 宮は茅葺きおごらすまいと 神の恵みのアラ有り難や 貧と福とは天命なるぞ 知らで無理せばその身の過(とが)よ 心正直、少欲なれば 貧は貧でも不足はないぞ 結句(けっく)、金持ち苦労の種ぢゃ へらすまいとて貪欲すれば 親の金をも盗むに同じ ついに家庫(いえくら)空しく成るぞ 宝へらさぬ工夫というは 我が身つづめて仁心、発(おこ)し 慈悲と情けで人をば助け 家内眷属一家をはじめ 友と知音も成丈(なるたけ)すくへ 金は限りのあるものなれば 入るを計りて出だすが好いぞ 倹(けん)と吝(りん)とをよく弁えて 倹は我が身の奢りを省き 吝は内外に辛き目みせて 不仁不義から為す業(わざ)なれば 我に足ること知らぬが故ぞ 餓鬼の苦患(くげん)と言ふのはここよ 信さへありや貧者も仁は 出来るものだよ、貪欲瞋恚(しんに) 愚痴を離れりやみな慈悲心よ 身にも口にも意(こころ)は猶も 人の助力や世界の道に よかれよかれとなすわざなれば 直に神なり菩薩の行よ 士農工商みな受け得たる 己が家職を大事にすれば 我と天地と相応いたし 四海兄弟、他人はないぞ しかも佛の御法(みのり)の教え きけば一切男子も女子も 共に生々(しょうしょう)のわが父母ぞかし しかし他人の気に入るとても 主(しゅう)と親とに背いた時は 神や仏の守りは無いぞ 主は日月(にちげつ)、父母天地 これに仕へて忠孝すれば 神や仏を祈らずとても 常に身に添ひ守らせ給 後生極楽ほかでは無いぞ 子供そだてが大事でござる 子供よければ我世を譲り 隠居したとこ安楽世界 現世安穏(げんせあんのん)未来は浄土 後生願いがたらわぬ時は 隠居しながら子の世話焼いて 鬼の呵責(かしゃく)や閻魔(えんま)の役目 親子もろともこの世が地獄 子供はじめは性善(せいぜん)なれど 愛が過ぎれば気随(きずい)になるぞ 友を選ぶが先ず第一よ 友が悪けりや悪いがうつる 友がうそつきや、うそつき習ふ 麻につれたる蓬(よもぎ)の草よ 親の仕業(しわざ)がみな子に移る 親がよければ子もよいぞ 親が欲なと子供も欲な 子供不孝で片親ないは なおも育てが大事でござる 父は与楽の慈の教訓に 母は抜苦(ばっく)の悲の愛憐(あいれん)よ これが片よりゃ片輪になるぞ 五体人なみ、心は片輪 慈悲の二つを一人の親が 兼ねて勤めしためしもあるぞ むかし孟母は織りける機(はた)を 切って怒って子を励ませば その子一途に学師につかへ 今も孟子と尊とばるるも 母の慈悲より起こるときけば 子供しつけが大事でござる 奉公さすなら情けをかけな 殊に女子には教えがいるぞ 嫉妬深いと衣類のかざり これも愚痴から起こるといへど 母の仕方がみな従ふぞ 母の気随(きずい)が娘に移り 母が奢れば娘も奢る 母が癇癪(かんしゃく)娘が短気 母を習ふが娘の道よ 外へやろふが跡目にせうが 妻は夫にしたがふ習ひ 内をおさむる役目となりて 気随気儘に身勝手すれば 家内乱れて修羅くら煮へる 修羅の道こそなお遠ざけよ たとい夫は愚かにあろと 神や仏や主人と頼め 舅姑我が二親(ふたおや)よ 下をあはれみ身を高ぶるな 夫婦和合は則ち天地 心正直内外の神よ 慈悲の仏に五ツの道は 人の人たる道こそ是れよ 儒仏神道みなこの事よ 寝るも起きるも立っても居ても いかに如何にと一心不乱 信をこらせばよい子が知れる 年はいくつか無量寿ぼとけ いやな顔せずさて愛らしい 又と二人は無い御子(みこ)さまよ 唐(から)や天竺(てんじく)十方世界 どこも此の御子ひとりの沙汰よ 何宗角宗(かにしゅう)もひとつの月よ 須磨も明石も姥捨て山も 吉野竜田の紅葉も花も 外(ほか)を尋ぬる事では無いぞ 寒さこらへりや暑さが来る ここは娑婆とて堪忍(かんにん)国土 忍をなす故、人ではないか しとも無いとも親孝行と 主人忠義と家業を励め 是れをこらへてしなれりや遂に 実に忠孝礼儀になるぞ 万芸万能学問とても 始め上手な物では無いぞ すべて堪忍その功積もり 妙に至りて師と仰がるる むかし南都の明詮僧都(みょうせんそうず) 学をうとんで夜の間に寺を 出でて雨降り大仏殿に 宿るあしたが雨強く降り 軒の雨だれ当たりし石に 穴のあきしも天然自然 堅き石さへ穴あくからは 堅い文字(もんじ)もしばしば見れば ついに了解(りょうげ)も成りそなものと 倦むをこらへて勤学(ごんがく)あれば 法相一宗の知識とよばれ 今の代(よ)までも名のかんばしき したい事にはよい事ないぞ うそか遊戯(ゆげ)か奢りの沙汰か 色かばくちか朝寝か酒か 心よごれて地獄の種ぢや 是れもこらへてせぬのがよいぞ こらへさへすりや人には成るぞ 悪い癖よりよい癖つけよ 浄い汚いも分けたがよいぞ 地獄きたなし 清いは浄土 神も仏も皆我なりと 我意(がい)を立つれば即ち邪見 家に伝はる宗旨を替へな 国の御法度先祖の家法 堅く守るは祈祷の札よ 欲な願いで作善をこめる 神や仏は非礼を受けず 念仏、題目、経読むことも 悪と欲心忘れぬ時は やはり今生(こんじょう)地獄におつる 在家却って極楽往生 我を離れた香華(こうげ)の供養 わずか一食を備ふるとても 功徳大いに罪咎(つみとが)のがる 思案分別みな妄想よ 我心自空(がしんじくう)は世尊の御法(みのり) 有り難いぞやかたじけないぞ 心清浄、正念にして 日々に新たに日々うたへ 念仏、題目、子守りの唄よ この子大事に守(も)りさへすれば 生死離れて無漏土(むろど)に至る 願ひ次第に十方浄土 寂光極楽いずれへなりと 儒仏神祖も手を引き給ひ 往きて生まれて蓮の臺(うてな) ついに子守りも仏の位 家内安全、目出たかりける
ここに播州灘やのむすめ としは十六お洒落(しゃらく)ざかり
器量こつがらサテたぐひなき 唐(から)で楊貴妃、日本の小町 花にたとへりや吉野のさくら 腰の細さは川辺(かわべ)の柳 釈迦も達磨も阿羅漢たちも 端(はっ)とおどろき手をうちはらふ 去年(こぞ)の春よりただうつうつと 思ひ顔して日影をこのむ いろでやせるか心苦がますか かたりたまへと人さまいへば 辛苦なければ色でもやせぬ 私しや悟りに浮き身をやつす 寝てもおきてもさて歩くにも どふぞどふぞとただ一すじに 心がけたりや、つい埒(らち)あいた とかく皆様、異見じやないが わしがいふことよふ聞かしやんせ あはれなるかな世間の人の 暮らす家業をよくよく見れば 千年百年(ちとせももとせ)生くべきよふに 心うかうか月日をおくる 今に死すべき事をも知らず 慈悲も情けも後生の事も 欲の余りにただあやまりて 未来苦患(くげん)のあることしらず 此世来世も助かりたくば うたぬ隻手(かたて)の声聞かしやんせ 経や陀ら尼(だらに)をよむより勝る 直に仏のおすがたとなる 未来蓮華はまだるい事よ 西も東も南も北も 土や草木や海山かけて 蓮華ならざる所はないぞ 西方(さいほう)極らく十万億も 直に足もと、それはなの先 それも見性(さとり)の眼がなけりや どこもかしこも三途の地ごく またも刃の山ともなるぞ とかくつとめて見性(けんしょう)すれば 三途地獄(さんずじごく)も刃の山も きへて浄土と現れにける 今に死すともてんぽの皮よ 自己がひらけにや此世(このよ)をかけて 万劫末代、地獄の修行 たとへ学文(がくもん)博識とても 死ねば奈落の罪人となる 在家なりとも見性すれば 生死はなれて明るい世界 さとり開かぬお寺にまさる いろや博奕(ばくち)の御はなしならば 昼夜ねずとも面白かろが こんなはなしは気に入るまいぞ こころ強くもいひきかすれば みんなそびら(背中のこと)に汗水流し 笑止がほして我が家に帰る 無常なる哉その年暮れに 思ひがけなき病に付いて 床の上にて臥しにける 今をかぎりと両親(ふたおや)達は 後(あと)や枕に立ち添いよりて なみだながして念仏進む 娘もとより見性すれば 親に向かひて申せし様は わしがからだは去年の春に 後生極楽疑ひなけりや 今に死すとも苦は有りませぬ 辞世二首と紙筆(かみふで)とりて ついに二首の歌書きつけぬ それや紀念の末期の一句 向こう通るは清十郎じやないか 笠がよふ似たすげ笠が 笠が似たとて清十郎であらば お伊勢参りはみな清十郎
あのゝ下もの町の 新べさんのゝおふくは
鼻はひしやげたれどほうさきが高ふて よひおなごじやの なんのかのてゝ いつかひおせわでござんす 天じや天じやと皆様おしやる てんのとがめもいやでそろ 文(ふみ)の数々恋ひ焦がれても わしは当座の花はいや 数の男の思ひもこわひ みめの好ひのも気の毒じや 器量好しめと誉めそやされて 男ぎらひの独りねを 命取りめと皆様おしやる わしは命はとらぬもの 那須の与市は矢さきで殺す おふ(お福)が目本で人殺す 数の殿子(とのご)は限りもないが わしがいとしは只独り 婆々が粉歌は面白かろが ふくがしらべは知りやるまい 知音どしなら歌ふもよいが やぼな御客にや遠慮しや お婆々どの粉引き 所望 所望 有り難ひぞや天地の御恩 あつささむさの程までも 夜と昼ともなふてはならぬ ひるは働く夜分は休む 雨露(うろ)の御恩で五穀もみのる すへの野山の草木まで 君の御恩は山より高ひ 賎(しず)がわら屋の果て迄も 繁盛召されよ萬代(よろずよ)までも 風に草木のなびく様に 忘れまいぞよ御主(ごしゅう)の御恩 遠きあの世の後(のち)迄も 親の御恩は海より深ひ 恩を知らぬは犬猫じや 孝行する程子孫もはんじやう おやは浮き世の福田じや 心短気な殿子のくせに 主(しゅう)の専途にゃ遁げ走る 忠と云ふ字をよくよく見れば 外(ほか)え散らさぬ此の心 五尺余りのからだは持てど 主心なければ小童(こわらわ)じや 武芸武術も第二のさたよ とかく主心がおもじやもの 主心なければ空き家も同じ きつね狸も入り代わる 周の文武の太公望が 云ふておかれた名言がござる 武家の大事の三略の書に 驚悲乱りに起こるはどふじや 武士に主心の定まらぬ故 主心定まる修行しや 弓は鎮西八郎殿よ 槍は真田よ太刀打ちゃ九郎 たとひこれ等を欺く人も 主のここわの専途の時に 主心なければ腰ぬける主心、至善二つはないぞ 常に正しき此の心 唐の大和の物知りよりも 主心定まる人が好ひ 武士を絹布で食わせておくは 主の専途の一小口(ひとこぐち) 多芸多能も先ずさしおいて 主心定まる場所を知れ 主心、至善定まる時は 持斎持戒も外(ほか)にやない 有り難ひぞや主心の徳は 太刀や剣の刃も立たぬ 弓も鉄砲も届かぬからに 敵と云ふ字は更にない 空も月日も海山かけて 土も草木もみな主心 神とまります高天が原も 五欲三毒ないところ 民を新たにするとは云へど 至善定まる迄の事 出家沙門も高位も智者も 主心なければ皆民じや 宮もわら屋よ、わら屋も宮よ 主心一つが潮ざかひ 上下万民主心があらば 治めざれども世は万歳 嬉れしめでたや主心の徳で うたぬ隻手(かたて)の声をきく 悟り迷ひを口には説けど 主心居(すわ)らにや、なんじややら 袈裟や衣で見かけは好ひが 主心すわらにや、ひよんなもの 四国西国めぐるも好ひが 主心なければむだ道よ 主心、丹田気海にみつりや 仙家(せんか)長寿の丹薬(たんやく)よ 丹を錬(ね)るには鍋釜いらぬ 元気丹田に居(すわ)るまで 不死の丹薬望みな人は つねに気海に心おけ 虚空界より長寿な者は 気海丹田に住む主心 気海丹田に主心が住めば 四百四病もみな消ゆる 主心お婆々はいくつになりやる わしは虚空とおないどし 虚空おやぢは死にやろと儘(まま)よ わたしやいつでも此の通り 山河大地を我が子に持てば わしにや不足な事はない 武士の身の上や覚悟がおもじや 生きて一度(ひとたび)死ぬが好ひ 生きて死ぬるは最易(もやす)ひ事よ 主心お婆々に出逢ふて問へ 主の御恩で仕立てたからだ 喧嘩などする不覚者 武士は臆病も忠義の一つ 一度主君に上げおくからだ 我が身ながらも自由にやならぬ 大事大事と守りましよ 内証づき合ひ傍輩(ほうばい)どしにや 狗(犬)と云ふとも腹立つな 主の為なら無間(むげん地獄)の底も 修羅も紅蓮(ぐれん地獄)も辞退せぬ 命限りに切り込む所存 是れが勇士の常の住(じゅう) 主心お婆々はどこらにござる 気海丹田の裏店(うらだな)かりて 気海丹田はどこらの程ぞ 臍(ほぞ)の辻から二町下(しも) 臍のぐるわに気が聚(あつ)まれば とりも直さぬ大還丹よ いともとふとや還丹の徳は 須弥も虚空も砕けて微塵 十方法界、実相無相 見られてもなく見てもない 生死涅槃もきのふの夢よ 煩悩菩提の迹(あと)もない 堕(だ)して苦しむ地獄もないが 往(ゆ)ひて楽しむ浄土もないぞ ここに一期の大事がござる 真正得悟の知識に逢わにや 世間多少の修行者どもが 三二十年難行苦行 思ひ計らずこの場に到りや もはや悟った大隙(おおびま)あいた おらはこれから心の儘じや 殺生偸盗も気遣いないぞ 五逆十悪、好ひなぐさみよ 因果むくひも無ひからと 邪見断無のわがまま悟り よその見る目も恐ろしや 励み求めし見性の法は いまは地獄の種となる もとの主心は皆消へ失せて 魔縁天狗が入り代わる 過去の縁因(えんいん)拙ない故に ついに真正の明師(めいし)に逢わにや 悟後の修行の奥義(おうぎ)も知らぬ もとの凡夫がいつそ増し 今は澆末(ぎょうまつ。末世)法滅の時 邪見邪法の起こるも道理 支竺扶桑の三国ともに 真の禅宗は地に落ち果てゝ ことに怪しき邪法がござる 曹洞黄檗、済家(さいか)もともに 善知識じやと呼ばるるわろ(奴)も 人に対する説法を聞けば 真正向上の禅法と云ふは 坐禅観法に用事もないが 仏経祖録もさらさら入らぬ 木地の儘ながまことの仏 仏求むりや仏に迷い 法を求むりや法縛(ほうばく)を受く 仏果菩提も夢中の夢よ 生死涅槃も飛ぶ鳥のあと 好きも悪しきも皆打ちすてて 木地の白地で月日を送れ 障りや濁るぞ渓河(たにがわ)の水 問ふな学ぶな手出しをするな これがまことの禅法だ程に 見ぬが仏ぞ知らぬが神よ これを聞くより彼の大勢の 無智や懶惰の役坐のやから 扨(さ)てもとうとひ教化でござる もはや是れから我々どもは おもひ寄らざる生き仏じやぞ くふてはこして寝るばかりじやと 並び睡(ねむ)るを脇より見れば 大勢並んで櫓(ろ)をおす如く いかが成り行く身の果てやらん 仏法破滅の大前表よ 悟後の修行とはどの様な事ぞ おばゝ知てなら歌ふて見やれ これは大事をお尋ね候よ 五百年来すたれた法じや 諸善知識も知らぬが多ひ 悟後の大事はすなわち菩提 昔、春日の大神君の 解脱上人にお告げがござる およそ倶盧孫仏(くるそんぶつ)より以来 たとひ天下の智者高僧も 菩提心なきや皆々魔道 菩提心とはどうした事ぞ やまん婆女郎も歌ふておいた 上求菩提と下化衆生なり 四弘(しぐ)の願輪に鞭打ち当てて 人を助くる業(わざ)をのみ 人を助くにや法施(ほっせ)がおもじや 法施や万行の上盛りよ 有り難ひぞや法施の徳は たとひ仏口(ぶっく)も尽くされぬ 法施するには見性が干要 見性ばかでは乳房(ちぶさ)が細ひ 細ひちぶさじゃ好ひ子は出来ぬ よい子なければ跡絶へる 隻手音声もとめ得ておいて ここで休すりや断見外道 次に千重の荊棘叢(けいきょくそう)を 残る事なく透過せよ お婆々死んでは何国(いずく)えござる とめて給もれよ帆かけ舟 四十九曲がり細(ほ)そ山道を 直ぐに通らにや一分立たぬ 風の色香はどの様な物ぞ 次に夢中の祖師西来意(そしせいらいい) 最後万重の関鎖がござる これが禅者のむなふく病(びょう)ぞ 関鎖なければ禅宗は絶へる 命かけても皆透過せよ 昔、黄檗運禅師 常に嗟悼(さとう)し惜しませたまふ さても牛頭山宗融大師 常に横説竪説(おうせつじゅせつ)はすれど 未だ向上の関鎖を知らぬ 関鎖なければ禅じやない 鯉魚(りぎょ)も龍門万重を越へる 野狐も稲荷の鳥井は越すぞ さすが禅宗のめしやくひながら 関鎖とおらにや分立たぬ 祖山寿塔に五祖牛窓櫺(ごそうしそうれい) 乾峯三種に犀牛の扇子 白雲未在(はくうんみざい)に南泉遷化 倩女離魂に婆子焼庵よ これを法窟の爪牙と名づけ 又は奪命(だつめい)の神符とも云う これら逐一透過の後に 広く内典外典(ないてんげてん)を探り 無量の法財集めておいて 三つの根機を救わにやならぬ 三つの根機の其の中ゝに 真の種草(しゅそう)を求むるがおも 真の種草が真実欲しか 法窟の牙(げ)と奪命の符と 鳥の両羽(りょうは)を挟むが如く これがなければ種草は出来ぬ これが即ち仏国の因 とりも直さず菩薩の大行 たとひ虚空は尽きやろと儘よ こちの弘願(ぐがん)は果てしやない 頼み入るぞよ千歳(ちとせ)の後も ひとりなり共、当家の種草 婆女(ばじょ)が心をよく参究せば 祖師の真風は地に落ちゃせまい 油断召さるな、おまめでござれ ばゝは是からおいとま申す ![]() 衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 例えば水の中に居て 渇を叫ぶがごときなり 長者の家の子となりて 貧理に迷うに異ならず 六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離なるべき それ摩訶えんの禅定は 賞嘆するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等 其の品多き諸善行 皆このうちに帰するなり 一座の功を成す人も 積みし無量の罪ほろぶ 悪趣何処に有りぬべき 浄土即ち遠からず 辱くもこの法を 一たび耳に触るるとき 讃嘆随喜する人は 福を得ること限りなし 況や自ら回向して 直に自性証すれば 自性即ち無性にて 己に戯論を離れたり 因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 無相の相を相として 往くも帰るも余所ならず 無念の念を念として 歌うも舞うも法の声 三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん この時何をか求むべき 寂滅現前する故に 当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり 『白隠禅師坐禅和讃』は、江戸時代の臨済僧・白隠慧鶴禅師作の和文のお経である。説かれているのは、坐禅に代表される「禅定」と呼ばれる実践行で、禅定とは、「無神経・無感覚にならず、外界の刺激を受けていながら、精神を統一し、雑念を抑え、静かに思慮すること」である。
草を取るなら、根をよく取りゃれ またと意根をはやしゃるな
意根なきよに根をきりおけば 水に花さく根なし草 つねに心をとり離しゃるな それが念仏、また極楽よ 坐禅しぶりに胸焦がしゃるな とらず、もとめず、坐禅をしやれ 善きも悪きも余所(よそ)から来ぬぞ 迷う我が身のこころより 親じゃ親じゃと我が儘(まま)するな 今じゃ子孫の気をかねる 神や仏を祈らずとても 直(す)ぐな心が神仏(かみほとけ) 人が見ぬとていつわるまいぞ 我と天地がいつかしる 鈍な者でも正直なれば 神や仏になるがすじ 利根才覚、鼻先出るは 誠(まこと)修行の足らぬ故 しれた事でも、しれぬというが それが誠の智者ぢゃもの 智者と言われて喜ぶならば それが愚かな人ぢゃもの 怒り腹立ち中途の雲よ 上の空には何もなし 惜しや欲しやと思うが餓鬼よ 餓鬼の種とて外にはないぞ 成るもならぬも心の儘よ 心許すな、怠るな 弥陀の名号、百万遍も 心ちらさぬ為としれ 心ちらさねば夫(それ)こそ浄土 勢至観音わきだちに 煩悩菩提と二つは無いぞ 知らにゃ、世界が皆別ぢゃ 惜しい可愛いの起こらぬ前は 何も思わぬ子の心 人に対して腹立つときは 早くわが身の愚痴と知れ 善きも悪しきも皆分別よ しらで居る時ゃ何がなる 惜しや可愛や面(つら)憎くや 無間(むげん)地獄の皆せめぢゃ 念仏しながら腹立つよりも 止めて家業に精出しやれ 独り居るとき衆中と思へ それで粗忽は無きものぞ 橋の下なる乞食を見やれ 金を持ても奢りゃるな 貧も富貴も皆浮雲よ 定めなき世と見るがよい 生まれ来るのも今死に去るも 君が誠のなりふりぢゃ 扨(さ)ても貴(とう)とや我が立ち姿 釈迦か阿弥陀の再来ぢゃ 金を持っても慢気はわるい もたぬ昔を忘るるな 死ぬも目出度い、生きるも目出た 兎角浮き世は仮の宿 心ゆかしも皆うその皮 銭がなければ、うとむもの 欲を心にはなれて見やれ 何が無くとも十分ぢゃ 天の昼中、夜中でくらせ それで世界が手に入るぞ 親をかならず粗忽(そこつ)にするな 親は神とも仏とも 昼も夜中も此の君故に 暑さ寒ぶさも苦にならぬ 親の威光を振るのはよいが 慈悲が無くては、ひょんなもの 大儀ながらも勤めをしやれ 廻(め)ぐる月日の在るうちは 心よくもて盗みをするな 道に背けば是れ盗人(ぬすびと)よ 人の悪しきを必ず言ふな そしる心が悪ぢゃもの 惜しみ貪り、因果に引かれ 出でて此の世に貧苦する 兎にも角にも天道まかせ 無理な願いをかけやるな 生死輪廻の車に乗りて 過去も未来も我が儘ぢゃ 後世も願うに名利を願ふ いとど苦をして煩悩嫌ふ 煩悩嫌(きろ)ふて菩提が好きぢゃ すきも嫌ひも皆な煩悩よ 善ぢゃ悪ぢゃと目に立つ内は 恥ぢて修行を精出しゃれ 智者も善者も浮世を見るに 色と金には皆迷ふ 人を悪しきと思ふが邪見 悪ういふ気が無きゃよかろ 兎角怒るな、短気を出すな 死せば来世は蛇(じゃ)となるぞ 口と心と身の行ひと 術(すべ)とくらべて身を持ちゃれ 聞いてすまして悟りをしやれ 我慢邪慢の根を切りやれ 野辺の送りの煙を見やれ あすは我が身もあの如く 生きて居ながら死んだがよいぞ それで万事が手に入るぞ 子供妻をも捨て置いたるか 入るに入られぬ法(のり)の道 耳で見分けて、目で聞かしゃれよ 夫れで聖(ひじり)の身なるぞや 有為(うい)の転変、其の儘忘れ 元の赤子の気を持ちゃれ 悟りふりする面(つら)恥かしや 元の凡夫がましぢゃもの 心一つを悟りて見れば こうぢゃそうぢゃの音もなし 唯(ただ)ぢゃ、ただぢゃと皆様おしゃる わしは只ではいやでそろ 唯と心得うかうかするな 根なしかづらにからまるぞ 捨ててはびこる根の無いかづら 蔓は越後に、根は佐渡に 根なしかづらに、花茶屋かけて 釈迦や達磨が客となる 心願不善 念経無益 (心願不善ならば、念経するも益なし) 不義取財 布施無益 (不義な取財ならば、布施するも益なし) 不明心性 問答無益 (心性不明ならば、問答するも益なし) 不借元気 服薬無益 (元気を借りずんば、服薬するも益なし) 心高気微 転学無益 (心高くとも気微〈かすか〉ならば、転た学ぶも益なし) 時運不通 狂求無益 (時運通ぜざれば、狂求するも益なし) 生不孝親 死祭無益 (生に親に不孝ならば、死して祭るも益なし) 不断殺生 戒軍無益 (殺生断ぜずんば、軍を戒〈いまし〉むるも益なし) 一行目の「草を取るなら、根をよく取りゃれ」は草取りの大切な心がけで、「根が残っていると草はすぐに生えてくる。草を取るなら手間がかかっても根をよく取らなければいけない。長い目で見ればその方がはるかに手間がはぶける」の意。 「またと意根をはやしゃるな」の「意根」とは、「遺恨」に掛けて、「恨み、つらみ、憎しみの根を生やしてはいけませんよ」と言っているようにも聞こえる。 「扨(さ)ても貴(とう)とや我が立ち姿 釈迦か阿弥陀の再来ぢゃ」。この一節は、坐禅和讃の「衆生本来仏なり」をさらに力強く宣言したものである。一休さんの作といわれる「本来の面目坊がたちすがた 一目見しより恋とこそなれ」を思い出させる。「本来の面目」とは自己の本心のことで、それこそが生きた本当の仏さまなのだ。もうひとつ一休さんの歌を紹介すると「我のみか釈迦も達磨もあらかんも 此君ゆえに身をやつしけり」。 「天の昼中、夜中でくらせ それで世界が手に入るぞ」。理屈に合わない一節であるが、よそ見をするなということであろう。真っ暗闇の夜中には何も見えない。見えなければ、キョロついて腹を立てたり欲ばったりすることもない。人間は見えすぎ聞こえすぎで苦しんでいる。よそ見をすれば、たちまち草ぼうぼうになる。 「生きて居ながら死んだがよいぞ それで万事が手に入るぞ」も同じである。 「耳で見分けて、目で聞かしやれよ 夫れで聖(ひじり)の身なるぞや」も同じ消息であろう。眼で聞いて耳で見るならば、見れども見えず聞けども聞こえない。要は見たり聞いたりした事にとらわれるな、と言いたいのであろう。 最後の二行の「捨ててはびこる根の無いかづら 蔓(つる)は越後に、根は佐渡に。根なしかづらに、花茶屋かけて、釈迦や達磨が客となる」はむずかしい。苦労して抜き捨てたはずの雑草が、ふたたび根を出して繁茂し始め、また釈迦や達磨の出番がきたという事だろうか。草を抜いてその辺に捨てておくと、雨が降って根が付いてしまうことはよく経験することである。 あるいは、根のない草に花が咲いてそこにお浄土が出現する、と言うのだろうか。 根なしかづらは、根のない草をあらわす白隠禅師の造語かと思っていたが、調べてみたら実在する植物であった。ヒルガオ科のつる性植物で、小さな白い花をつける目立たない草である。 ![]() 一、 吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ 敵の大将たる者は 古今無双の英雄で これに従うつわものは 共に慄悍(ひょうかん)決死の士 鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を 起こせし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ ※敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 玉散る剣(つるぎ)抜きつれて 死する覚悟で進むべし 二、 皇国(みくに)の風(ふう)ともののふは その身を護る魂の 維新このかた廃れたる 日本刀(やまとがたな)の今更に また世に出ずる身のほまれ 敵も味方も諸共に 刃(やいば)の下に死ぬべきぞ 大和魂あるものの 死すべき時は今なるぞ 人に後(おく)れて恥かくな 三、 前を望めば剣なり 右も左もみな剣 剣の山に登らんは 未来のことと聞きつるに この世において目(ま)のあたり 剣の山に登らんは 我が身のなせる罪業を 滅ぼすために非(あら)ずして 賊を征伐するがため 剣の山もなんのその 四、 剣の光ひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か 四方(よも)に打ち出す砲声は 天にとどろく雷(いかずち)か 敵の刃に伏す者や 弾に砕けて玉の緒の 絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の屍は積みて山をなし その血は流れて川をなす 死地に入るのも君のため 五、 弾丸雨飛(うひ)の間にも 二つなき身を惜しまずに 進む我が身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の 果敢(はか)なき最期を遂ぐるとも 忠義のために死する身の 死して甲斐あるものなれば 死ぬるも更にうらみなし われと思わん人たちは 一歩もあとへ引くなかれ 六、 吾今ここに死なん身は 国のためなり君のため 捨つべきものは命なり たとえ屍は朽ちるとも 忠義のために死する身の 名は芳しく後の世に 永く伝えて残るらん 武士と生まれし甲斐もなく 義のなき犬と言わるるな 卑怯者とな謗(そし)られそ 東京帝大学教授であった外山 正一が、「抜刀隊の歌」として『新体詩抄』に発表した詩に、陸軍軍楽隊教師のシャルル・ルルーが曲をつけた。後に明治天皇の御前演奏をした際、ことのほか気に召されてアンコールを求められたという。明治35年5月には陸軍が「分列行進曲」として採用。「抜刀隊」とは、明治10年の西南の役において、警視庁巡査百余名で結成された精鋭部隊のこと。従って「敵の大将」は西郷隆盛のことである。 ![]()
利休百首
その道に入らんと思う心こそ わが身ながらの師匠なりけり 習いつつ見てこそ習へ習はずに 善悪言うはおろかなりけり こころざし深き人にはいくたびも あわれみ深くおくぞ教うる はじをすて人にもの問い習うべし これぞ上手の基なりける 上手には数寄と器用を功つむを 此三つそろう人ぞよく知る 点前には弱みを捨ててただ強く されど風俗いやしきをされ 点前には強みばかりを思うなよ 強きは弱くかるく重かれ 茶の点前ものしずかにと聞くものを そそうになせし人はあやまり 何にても置きつけ帰る手ばなれは こひしき人に別るるとしれ 濃茶には手前をすてて一筋に ふくの加減と息をちらすな 濃茶には湯加減暑くふくは尚 泡なきようにかたまりもなく とにかくにふくの加減を覚ゆるは 濃茶たびたびたててよく知れ よそにては茶をくみてのち茶杓にて 茶碗のふちを心して打て 中次は胴を横手にかけてとれ 茶杓は直におくものぞかし なつめにはふた半月に手をかけて 茶杓を丸くおくとこそ知れ 蒔茶入、蒔絵柄もの文字あらば 順逆覚えあつかうと知れ かたつきは中次とまた同じこと そこに指をばかけぬとぞしる ぶんりんやなす丸つぼ大海は そこに指をばかけてこそもて 大海をあしらう時は大指を 肩にかけるぞ習いなりける 口広き茶入れの茶をばくむと云う せまき口をばすくとぞ云う 筒茶碗、深き底よりふき上がり 重ねて内へ手をやらぬもの 乾きたる茶巾使わば湯をすこし こぼしのこしてあしらうぞよし 炭おくはたとえ習いにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり 客になり炭つぐならばそのたびに 薫物などをくべむものなり 炭つがば五徳はさむな十文字 えんを切らすなつり合いを見よ たきのこる白炭あらば捨ておきて 又たきそえる事はなきなり 炭置くも習いばかりにかかわりて 湯のたぎらざる炭は消え炭 崩れたるその白炭をとりあげて 又たきそえることはなきなり 風炉の隅見ることはなし見ぬとても見ぬこそなをも見る心なれ 客になり底取るならばいつとても いろりの角をくすしつくすな 客になり風呂のその内見る時は 灰崩れなん気づかいをせよ 墨跡をかける時にはたくぼくを 末座の方へ大方はひけ 絵の物を掛る時にはたくぼくを 印しある方へ引き置くもよし 冬の釜いろりふちより六七分 高くすえるぞ習いなりける 品じなの釜によりての名は多し 釜の総名かんすとぞいふ 絵かけ物左右向き向ふむき 使うも床の勝手にぞよる うばぐちはいろりふちより六七分 低くそえるぞ習いなりける 置き合わせ心をつけて見るぞかし 袋のぬい目たたみ目におけ はこびだて水指置くはよこ畳 二つ割りにてまん中に置け 茶入又、茶せんのかねをよくも知れ あとに残せる道具目当てに 何にても道具扱う度ごとに 取る手は軽く置く手重かれ 水指に手桶出さば手は横に 前のふたとりさきにかさねよ よそなどに花おくらば其の花は 開きすぎしはやらぬものなり つるべこそ手はたてにおけふたとらば 釜にちかづく方と知るべし 小板にて濃茶をたてば茶巾をば小板のはしに置くものぞかし 掛物の釘打つならば大輪より 九分下げて打て釘も九分なり かんしょうは大と小とに中々に 大と五つのかすをうつなり 茶入れより茶をすくうには心得て 初中後すくへそれが秘事なり 湯をくまば柄杓に心つきのわの そこねぬように覚悟してくめ 柄杓湯をくむ時の習には 三つの心得あるものぞかし 湯をくみて茶碗に入る其時は 柄杓のねじはひじよりぞする 柄杓にて白湯を水とをくむ時は くむと思わじもつと思わじ 茶を振るは手さき振ると思うなよ 肘より触れよそれが秘事なり 床に又和歌の類をばかけるなら 外に歌書をばかざらぬとしれ 外題ある物をよそにて見るときは まず外題をば見せてひらけよ 羽帯は風炉には右羽炉のときは 左羽をば使うぞしる 名物の茶わん出たる茶の湯には 少し心得かわるそ知れ 暁はすきやのうちもあんどんに 夜会などにはたんけいをおけ ともしびに油をつがば多くつげ 客にあかざる心得と知れ ともしびに陰と陽との2つあり あかつきには影、夜は陽なり 古への夜会などには床の内 かけもの花はなしとこそきけ 炉の内は炭斗ふくべ柄の火箸 陶器香合ねり香としれ 古へは名物などの香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく 風炉の時、炭はなかごにかね火箸 ぬり香合に白檀をたけ ふたおきに三つ足あらば一つ足 前につかうを心得とおけ 二帖台、三帖台の水指は 九つ目におくが法なり 茶巾をばながみ布巾一尺に 横は五寸のかね尺としれ ふくさをばたちは九寸あまり横巾は 八寸九寸かね尺にせよ うす板は床かまちより十七目 又は十八、十九目におけ うす板は床の大小また花や 花生によりかわるしなじな 花入のおれくぎ打つは地敷居より 三尺三寸五分よもあり 花入の大小あらば見合わせよ かねをはづして打つがかねなり 竹釘は皮目を上に打つぞかし 皮目を下になすこともあり 三つ釘は中の釘より両わきを 二つにわりなるまん中に打て 三幅の軸を掛けるは中をかけ 軸先をかけ次に軸もと 掛物をかけておくにはかべつきを 三四分すかしおく事ときく 花見より帰って人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花もおくまじ 時ならず客の来たらば手前おば 心は草にわざを慎め 釣船はくさりのながさ床により 出船入船うき船としれ つぼなどを床にかざらん心あらば 花より上にかざりおくべし 風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思う人はあやまり 右の手を扱う時はわが心 左の方にありと知るべし 一と点前たてるうちには善悪と 有無の心のわかちをも知る なまるとは手つぎ早く又おそく 所々のそろわぬを云う 手前には重きを軽く軽きをば 重くあつかう味わいを知れ 盆石をかざりし時の掛物に 山水などはさしあいと知れ 板床に葉茶つぼ茶入品々を かざらでかざる法もありける 床の上にかご茶入れをおく時は うす板などはしかぬものなり 掛物や花を拝見するときは 三尺ほどは床をよけて見よ けいことは一より習い十を知り 十より帰るもとのその一 茶の湯をば心に染て目にかけづ 耳をひそめて聞くこともなし 茶をたてば茶せんに心よくつけて 茶碗の底に強くあたるな 目にも見よ耳にもふれよ香を嗅て ことを問いつつよく合点せよ 習いをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古腰ばかりにせよ 水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし 茶はさびて心は厚くもてなせよ 道具は何時も有合とせよ 茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし もとよりもなき古への法なれど 今ぞきわむる本来の法 規矩作法守りつくして破るとも はなるるとても本を忘るな
剣道道歌(読み人不詳)
立会いは竹刀で打つな手で打つな胴造りして足で打つべし 悪念の起こる所を切り払うこれが宝の剣なりけり 癖が出て弱くなったと知らずして同じ強さと思うはかなさ 手の内のできたる人の取る太刀は心にかなう働きをなす 法定は学ばんほどに道遠し命のあらんかぎりつとめよ(法定は形稽古を指す) 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 稽古をば疑うほどにくふうせよ解きたるあとが悟りなりけり 道場に入るべきときは身を正し心の鏡くもりなきよう 年毎に咲くや吉野の桜花木を斬りてみよ花のあるかは 剣術を使う人ほど馬鹿はなし頭叩かれ礼をいうなり 鹿島新当流・塚原ト伝高幹…卜伝百首より 武士の名にあふものは矢なれや深くもあふげ高砂の松 武士の鎧の下に乗る馬はくせありとても強き好めり 太刀の寸臍にくらべて差しつべしわが身の丈の合わぬ嫌へり 弓はただおのが力にまかすべし手にあまりたる弓な好みそ 勝負はながきみぢかきかはらねどさのみみぢかき太刀な好みそ 鍔はただ革にまされるものはなし糸にておけばぬれて乾かぬ 鍔はだた切りぬきあるを好むべし厚き無紋をふかく嫌へり 武士の軍の場にわに出るとき湯漬けにしくはなしと知るベし 武士のいつも身に添へ持つべきは刃つくる為の砥石なるべし 武士は女にそまぬ心もてこれぞほまれの教なりける 武士の軍の庭にもつ物は梅干にますものはあらじな 武士の酒を過ごすぞ不覚なる無下に飲まぬも又おろかなり 武士の心のうちに死の一つ忘れざりせば不覚あらじな 武士の生死二つをうち捨てて進む心にしくことはなし 柳生新陰流 柳生石舟斎宗厳 世を渡るわざのなきゆゑ兵法を隠家とのみたのむ身ぞ憂き かくれがとたのむはよしや兵法のあらそひごとは無用成けり 兵法のかちをとりても世の海をわたりかねたる石の舟かな 兵法は能なきもののわざなれば口業喧嘩の基ひ成りけり 兵法はうかまぬ石のふねなれど好きのみちにはすてられもせず 兵法や腰のかたなもあひおなじ朝夕いらでゐることもあり 兵法は稽古鍛錬つねにしていろにいださでかくしつつしめ へいはうのならひそのおりいでざるとかたるは己が恥としらずや 無刀にて稽古鍛錬取りえてはわが兵法の位をぞしる へいはうは器用によらず其の人のすける心のたしなむにあり 兵法はしりてもしらぬ由にしてゐる折々の用にしたがへ 兵法は弟子の心をさぐりみて極意おろかにつたへはしすな 兵法はふかき淵瀬のうす氷渡るこころのならひ成りけり 無刀さへきりかねたらん其の人のかたなにあひていかがしてまし 我が太刀に我と非を打つ工夫してつもる位のこころよくしれ 人をきらん心しばしば兵法にわれがうたれぬならひしてまで つつしまず兵法面に出しなば人に憎まれ恥やかくらん つねづねに五常の心なき人に家法の兵法印可ゆるすな うかまざる兵法ゆゑに石のふねくちぬうき名や末に残さん 無刀にてきはまるならば兵法者こしのかたなは無用なりけり 世をたもち国のまもりと成る人の心に兵法つかはぬなはし 万物は無に対するぞ兵法も無刀の心奥義なりけり 中々に猶里ちかくなりにけり余りに山の奥をたづねて 斬り結ぶ刀の下ぞ地獄なれただ斬り込めよ神妙の剣 柳生但馬守宗矩 むねのうち雲吹きはらふ風もがな心の月をあきらかにせん 心こそ心まよはす心なれ心に心心ゆるすな(不動智神妙碌より ながめやる山のあなたに立つけぶり爰にたく火の炎なりけり 柳生十兵衛三厳 兵法に勝たんと思ふ心こそ仕合に負くるはじめなりけり 柳生連也斎厳包(尾張柳生家) 徳を得れば一天世界ことごとく風に木草のなびくことわり 柳生兵庫助(尾張柳生家) 腰の折れまた坐るのを嫌ふなり折れて坐るはなほ悪しきなり 懸け退きに膝のすわるに二つありつかれ足をばわけていましむ 切合いに心ひかれてとにかくに及びかかるは初中後のくせ 切合いに手の下るのは直すべしせつかく勝て負にこそなれ 両足の一度に坐る不自由はぬかり砂原倒れやすさよ 拳にて太刀を使ふは弱みにて手の内まはり打ち合いに負く 直立つったつた身とは自由のすがたにて位といふはなほ心あり 位とは行住坐臥に動静に直立つものぞ位なるけり 立ち上がる手元に敵を引寄せて須弥の一刀両断にせよ 打つ時に拳に面添へぬれば面も反らず拳さがらず 懸る時も退く時も足はただ居つかぬやうに使ふべきなり 徳川光友(尾張二代藩主、新陰流六代家元) 出でぬ間の山のあなたを思ひやるこころやさきに月を見るらむ 雲はらふ嵐の庭の池水にもるより早くうつる月かげ 上泉伊勢守信綱・新蔭流 いづくにも心とまらば棲みかへよ長らへばまた本の古郷 里はただ降らざりけれと旅人のいふに山路の雪をしらるる おのづから映らばうつる映るとは月も思はず水も思はず 直心影流 稽古とは一より始め十に行き十より還る元のその一 示現流 いましめの左のひじの動かねば太刀のはやさを知る人ぞなき 伊藤一刀斎景久・一刀流 敵をただ打つと思ふな身を守れおのずからなる賤が屋の月 千葉周作成政・北辰一刀流 極意とは己が睫毛のごとくにて近くあれどもみえざりにけり 我体は破軍の星の形にて敵する方へまはす剣先 谷川の瀬々を流るる栃がらも実を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 雨あられ雪や氷とへだつれどとけては同じ谷川の水 小野次郎右衛門忠明・小野派一刀流 世はひろし事わざはつきせじさりとてはわがしるばかり有りと思ふな 是のみと思ひきはめそ幾数も上に上ありすいもうのけん 心形刀流目録序 ふしおがむいがきのうちは水なれや心の月のすめばうつるに 花もみぢ冬の白雪見し事もおもへばくやし色に出にけり 黒雲のうちより動く雷なればこれぞ無妙の味わいと知れ(松浦壱岐守清) 天然理心流道歌 荒海の水につれそふ浮鳥の沖の嵐にの心動かず 梶派一刀流伝書 剣術の稽古は人に勝たずして昨日の我に今日勝つと知れ 伊東左近祐近・岩流 春風になびく柳の糸ゆうも岩も潰さばくずれぬるべし 宮本武蔵玄信・二天一流 乾坤をその侭庭に見るときは我は天地の外にこそ住め 井上景雲・雲弘流(針ヶ谷夕雲系) 有りとすれば無し無しとすれば有る世の中の月だにうとき夜半の影法師 鞍馬流 気は長く心は丸く腹立てず己小さく人は大きく 居合道道歌 神夢想林崎流・林崎甚助重信 居合とは人に斬られず人斬らずおのれを責めて平らかな道 居合こそ朝夕抜きてこころみよ数抜きせねば太刀もこなれず 居合とは心に勝つが居合なり人に逆ふは非刀ひがたなと知れ 田宮流居合道 極意とは表の内にあるものを心尽しに奥な尋ねそ 自鏡流居合道 稽古には清水の末の細々と絶えず流るる心こそよき 夕立のせきとめがたきやり水はやがて雫もなきものぞかし うつるとも月も思はず映すとも水は思はぬ猿澤の池 幾千度闇路をたどり小車の乗得てみれば輪のあらばこそ 稽古には山澤河原崖や淵飢えも寒暑も無きものにして 吹けは行く吹かねば行かぬ浮雲の風に任する身こそやすけれ 山河に落ちて流るる栃殻も身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ わけ登る麓の道は多けれど同じ雲井の月をこそ見れ 兵法は立たざる前に先ず勝ちて立会いてはや敵はほろぶる 体と太刀一致に成りてまん丸に心も丸にこれぞ一円 稽古にも立たざる前の勝にして身は浮島の松の色かな 無双直伝英信流居合術 居合とは心に勝つが居合なり人に逆らふを非力とは知れ わがみち乃居合ひとすじざつだんに知らぬ兵法人にかたるな 合気道道歌 開祖・植芝盛平 誠をば更に誠に練り上げて顕出一如の真諦を知れ 太刀ふるい前にあるかと襲ひ来る敵の後に我は立ちけり まが敵に切りつけさせて我が姿後に立ちて敵を切るべし 左右をば切るも払ふも打捨てて人の心はすぐに馳せゆけ 取りまきし槍の林に入る時はこたては己が心とぞ知れ 敵多勢我をかこみて攻むるとも一人の敵と思ひたたかへ 気のみわざたまの志づめやみそぎわざみちびきたまへ天地の神 己が身にひそめる敵をエイと切りヤアと物皆イェイと導け つるぎわざ筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ 大宇宙剣のなかにもののふの光となりて世にぞ開かん 誠とは剣の道と人は言ふ神に問はれて答ふすべなし 古より文武の道は両輪と買いこの時に稽古の徳に身魂悟りぬ まよいなば恋しき道にも入りぬべし心の駒に手綱ゆるすな 右手をば陽にあらはし左手は陰にかへして敵をみちびけ ふりまはす太刀に目付けて何かせん拳は人の切るところたれ 鬼おろち吾に向いておそいこば後に立ちて愛にみちびけ 道人のするどく光る御心は身魂の中のひそむ悪魔に 合気にてよろず力を働かし美しき世と安く和すべし 美しきこの天地の御姿は主のつくりし一家なりけり 日置流弓道道歌 朝嵐初心の射手に教えなば昼をば過ぎて夕嵐なり 胴の伏す射手にあまたの難ぞある胸尻出でて顔は反るなり 肩骨の出づる射手こそ矢強けれ勝手下がりて射る肩は憂し 顔もちはやよとて人の呼ぶときにいよと答へて見向く姿よ 矢の心弓の張り顔知らずしてただ射る人は名をば取るまじ 稽古には直すところは多くともただ一色というて射させよ 矢をかけて引きしぼるには覚ゆるぞ放つときには無念無想よ 誰もげにはやりし時は好くぞかしとほして射ぬる人はまれなり 弓づるのすわりといふはかまえよりはなれし後も違はぬをいふ 思ひきや山ふところをゆたゆたと影すみ上がる弓張の月 槍術道歌 手闇の夜の鑓の構えは一露にて音なきやうに当りてぞ知れ(法蔵院流) 手は待たいに足は懸けんにてたゆみなく行く水鳥の心なるべし(大島流) 松涛館流空手道道歌 空手とは人に打たれず人打たずことのなきを基とするなり(小西康裕) 柔術道歌 捕らはれては水に浮く木の身をもてし浪にまかせつ風にまかせつ(天神楊心流) 雲晴れて後の光と思ふなよもとより空に有明の月(起倒流・寺田一左衛門正浄) ほらぬ井にのぞかぬ人の影さしてたよらぬ月と映る月影(気楽流) 天道流薙刀術道歌 生まれ得し直なる形そのままにまがらで勝つを兵法といふ(寺河原弁蔵一納) 極意とて別にきわまる事もなしたえぬ心のたしなみをいう 神道夢想道杖術道歌 突けば槍払えば薙刀打てば太刀杖はかくにもはずれざりけり 根岸流手裏剣術道歌 根岸松齢宣教 手と肩の力を抜いて腰強く飛ばす剣は岩通すなり 伊賀流忍法道歌 寺田一左衛門正浄 忍びには習ひの道は多けれど先ず第一は敵に近づけ 頃は元禄四年の昔 阿南清兵衛惟雪さんは 聞くも慕わし義侠の名主 当時、日出領八坂の村は 高は千石免六つなれば 上の運上極めて重く 農家たちゆき甚だ難儀 時に秋作不作の時は 家財道具を取り片付けて 子供年寄り引き連れたちて 長の年月住まれし里を 他国他領と見知らぬ空に 流浪するのが不びんさ故に 慈悲で義侠の清兵衛さまは 後のたたりも頓着せずに 領主様に免下げ願う 時に名君俊長公は 江戸に参勤おはするからに 名主、郡代呼び寄せられて 事の子細を吟味をなされ 郡代様には切腹なされ 名主様には牢舎の憂き目 後にとかれて国へと帰り 御役はがれて尾羽打枯らし 移り百姓で徳野ケ原に 暮らす義人の艱難辛苦 よその見る目も哀れさまさる まして病の床にとつけば 医者も薬もままにはならぬ まことこもれる妻子の看護 甲斐もなくなくやせ衰えて 今はこうよと見えたる間際 我の亡きがら大儀寺いけよ 遺言こまごま往生とげる これが元禄八年の二月十日あまりの七日にあたる 後の村人義人の徳を 長く忘れず伝えましょうや もしも、忘れちゃ それこそすまぬ。 元禄十年(1697年)十一月十六日、日出藩の山香郷八ケ村、八坂村の百姓たち、男女292人は年貢の事で郡代の「笠置伊左衛門」に恨みがあり、隣の杵築藩に集団で逃亡した。 日出藩は要求を認め、百姓たちを領内に呼び戻し、領内の騒動であるから、藩主の俊長公自ら処分に当たった。 郡代と七ケ村の庄屋及び「八坂庄屋清兵衛」の五人、之に弁済使[べんざいし]、百姓頭等の十六人を加えて、江戸に呼び寄せて直々の審議の上、郡代は江戸で切腹、弁済使二人は伊豆大島に流刑、庄屋五人は暫らく江戸の牢に入れられ、残り十四人は追放となったが、後に五人の庄屋は許されて帰藩した。 領主木下俊長公は後に日出藩に下国の上、庄屋の役議を取り上げ、八坂庄の清兵衛を徳野に、日指村の庄屋を北大神照川に、内河野村庄屋を南畑薄尾に移しました。阿南清兵衛はこの地で病気になり亡くなった。
ハァーまたも出ました三角野郎が 四角四面の櫓の上で
音頭取るとはお恐れながら 国の訛りや言葉の違い お許しなさればオオイサネー ※冒頭 【国定忠治】 ![]() さてもお聞きの皆様方へ チョイト一言読み上げまする お国自慢は数々あれど 義理と人情に命をかけて 今が世までもその名を残す 男忠治のその生い立ちを 不弁ながらも読み上げまするが オオイサネー 国は上州佐位郡にて 音に聞こえた国定村の 博徒忠治の生い立ちこそは 親の代には名主をつとめ 人に知られた大身なるが 大事息子が即ち忠冶 蝶よ花よと育てるうちに 幼なけれども剣術柔 今はようやく十五の年で 人に優れて目録以上 明けて十六春頃よりも ちよっと博奕を張り始めから 今日も明日も明日も今日も 日にち毎日博奕渡世 負ける事なく勝負に強く 勝って兜の大じめありと 二十才あまりの売り出し男 背は六尺肉付き太く 器量骨柄万人優れ 男伊達にて真実の美男 一の子分が三つ木の文蔵 鬼の喜助によめどの権太 それに続いて板割浅太 これが忠治の子分の中で 四天王とは彼らのことよ 後に続いた数多の子分 子分小方を持ったと言えど 人に情は慈悲善根の 感じ入ったる若親方は 今は日の出に魔がさしたるか 二十五才の厄年なれば すべて万事に大事をとれど 丁度その頃無宿の頭 音に聞こえた島村勇 彼と争うその始まりは かすり場につき三度も四度も 恥をかいたが遺恨のもとで そこで忠治は小首をかしげ さらばこれから喧嘩の用意 いずれ頼むとつわ者ばかり 頃は午年七月二日 鎖かたびら着込を着し さらばこれから喧嘩の用意 いずれ頼むとつわ者揃い 頃は午年七月二日 鎖かたびら着込を着し 手勢揃えて境の町で 様子窺う忍びの人数 それと知らずに勇親方は それと知らずに勇親方は 五人連れにて馴染みの茶屋で 酒を注がせる銚子の口が もげて盃みじんに砕け けちな事よと顔色変えて 虫が知らせかこの世の不思議 酒手払ってお茶昼を出れば 酒手払ってお茶屋を出れぱ いつに変ったこの胸騒ぎ さても今宵は安心ならぬ 左右前後に守護する子分 道に目配ばせよく気を付けて 目釘しめして小山へかかる 気性はげしき大親方は 気性はげしき大親方は およそ身の丈け六尺二寸 音に聞こえし怪力無双 運のつきかや今宵のかぎり あわれ命はもくずのこやし しかもその夜は雨しんしんと 闇を幸い国定組は 今は忠治は大音声で 名乗り掛ければ勇親方は 聞いてニッコリ健気な奴ら 命知らずの蛆虫めらと 互い互いに段平物を 抜いて目覚す剣の光り 右で打ち込む左で受ける 秋の木の葉の飛び散る如く 上よ下よと戦う内に 運のつきかや勇親方は 胸をつかれて急所の痛手 ひるむ所へつけ込む忠治 首をかっ切り勝鬨あげて しめたしめたの声諸共だが オオイサネー 【五郎正宗孝子伝】 ご来場なるみなさんへ 平にご免を蒙りまして 何か一席伺いまする かかる外題は何かと聞けば 五郎正宗孝子の誉れ うまい訳には参らぬけれど さらばこれから伺いまする オオイサネー 国は相州鎌倉おもて 雪の下にてすまいをなさる 刀鍛冶屋の行光こそは 玄関かまえの建物造り さても立派な鍛冶屋であれば 弟子は日増し増え行くばかり 今日はお盆の十六日で 盆の休みで弟子達どもは 暇を貰って遊びに行けば 後に残るは五郎が一人 そこで行光五郎を呼んで 是非に聞きたいそなたの身上 言えば五郎は目に持つ涙 聞いて下さい親方様よ 私ゃ京都の三条通り 宿屋稼業はしていたけれど つもる災難さて是非もない 火事のためにと焼け出されて わしと母ちゃん乞食も同じ 九尺二間の裏店住まい 母は洗濯縫針仕事 私ゃ近所のお使い歩き 細い煙で暮らしていたが お墓参りのその戻り道 あまた子どもが私のことを 五郎さんには父親がない 父の亡い子は父なし子じゃと 言われましたよ ノー母ちゃんへ 父がこの世におることなれば 一目なりとも会わせておくれ 泣いて頼めば母親言うに 父は関東で刀剣鍛冶屋 さほど会いたきゃ会わせてやろと 家財道具を売りしろなして 下り来たのが東海道よ 音に聞こえし箱根の山で 持ったお金は賊に盗られ 母は持病のさしこみがきて 手に手つくしたその甲斐もなく ついにあの世へ旅立ちました 死ぬる間際にこの短刀を 父の形見と私にくれた あとは言わずにそれなりけるが 西も東も分からぬ土地で 母に別れてどうしょうぞいと 一人寂しく嘆いていたら 通りかかった桶屋の爺が わしを助けて下さいました 恩は必ず忘れはしない 父に会いたい桶屋をやめて 刀鍛冶屋になりましたのじゃ 聞いて行光不思議に思い 五郎持ったる短刀とりて 中身調べてびっくりいたす 五郎引き寄せ顔うち眺め さては我が子であったか五郎 親はなくとも子は育つのよ そちの訪ねるその父親は わしじゃ藤六行光なるぞ 思いがけない親子の名乗り 様子立ち聞く継母お秋 障子開いて飛び込み来たる ヤイノヤイノと胸ぐらとりて これさ待ちゃんせ相手の女 腹を痛めて産んだる子じゃと その日はそのまますんだるけれど 思い出してはお秋のやつが 邪魔になるのは五郎が一人 今にどうする覚えておれと 悔し悔しが病気となりて 日増し日増しに病気は重く 軽くなるのが三度の食で そこで五郎は心配いたす 産みの親より育ての親と 子どもながらの利口なもので 親の病気を治さんために 夜の夜中に人目を忍ぶ そっと抜け出で井戸へと行きて 二十一日願掛けいたす ある夜お秋が厠に起きて 手水使おと雨戸を開けりゃ いつの間にやら降り来る雪の 風が持てくる水浴びる音 何の音かとすかして見れば 水を浴びるは孝子の五郎 寒さこらえてアノ雪の上 上に座って両の手会わせ 京都伏見のお稲荷さんよ 母の病気を治しておくれ もしも病気が治らぬときは 五郎命を差し上げますと 汲んだ釣瓶にしっかとすがり またも汲み上げざんぶと浴びる 様子見ていた継母お秋 胸に一もつその夜は眠る 朝は早くに起きたる五郎 母の居間へと見舞いに行けば 母のお秋は布団にもたれ いつに変わって猫なで声で そこじゃ寒いよこっちにおいで ハイと寄り来る五郎のたぶさ たぶさつかんで手元へ寄せて 夕べお前は何していたの 雪の降るのにアノ水浴びて 神に祈ってこの継母を 祈り殺そとさて怖ろしや 鬼か天魔か親不孝者め 枕振り上げ打たんとすれば 五郎その手にしっかとすがり それは母ちゃん心得違い どうぞお許し下されましと 泣いて詫びする耳にも入れず ーそばにあったる煎薬土瓶 五郎めがけて投げつけまする 投げた土瓶は五郎の額 額破れて流るる血潮 わっという声その声聞いて すぐに寄せ来る弟子達どもは 五郎体をしっかと押さえ 別の一間へ連れ行く様子 これを見ていた行光こそは おのれ憎いお秋のやつと 思う心は山々なれど おれのおかげで日本一に 出世したのもおのれのおかげ そこで五郎を一間に呼んで 切なかろうが許しておくれ 家の跡取りゃお前であると 父の優しい言葉を聴いて 昼の邪険も忘れてしまい 二十一日水浴び通す 五郎一心点にと通じ お秋病気が全快いたす お聞き下さる皆さん方へ もっとこの先読みたいけれど まずはここらで留め置きまして ご縁あるなら またこの次だが オオイサネー 【乃木将軍と辻占売り】 ![]() ご来場なる皆さん方へ 平にご免を蒙りまして 何か一席読み上げまする かかる外題は何をと聞けば 乃木の将軍辻占売りを うまいわけにはいかないけれど さればこれから読み上げまするが オオイサネー 明治三十七、八年の 日露戦争開戦以来 苦戦悪戦いたされまして 我が子二人は戦死をすれど うまずたゆまず奮闘したし ついに落城いたされまして 御旗旅順にひるがえされた 兵の指揮官乃木大将は 戦死なさった我が兵卒の 遺族訪問いたされまして 謝辞なさったその一席は 頃は二月の如月時よ 武士の育ちの乃木将軍は どこへ行くにも質素な支度 今日はおだやか散歩をしようと 家を出かけて梅林には ここに立派な売店ありて 腰を下ろして眺めをいたす 梅の香りはまた格別で ついに夜更けて十一時頃 通りかかった両国橋の 水の面に月ありありて 波に揺らるるその風景に 寒さ忘れてたたずむ折りに 二人連れなる辻占売りが 破れ袷を身にまとわれて 赤い提灯片手に下げて 弟手を引き寒げな声で 恋の辻占アノ早判り 買って下さい皆様方と 客を呼ぶ声さも愛らしや 兄は一人で心配いたす なぜか今夜は少しも売れぬ そんなこととは弟知らず これさ兄ちゃん寒くてならぬ 早く帰って母ちゃんのそばで だっこいたして寝んねがしたい 言えば兄貴の申することに さぞや寒かろ我慢をおしよ 兄は弟いたわりながら 涙声して客呼ぶ声に 乃木は近寄り子どもに向かい お前ら兄弟いずくの者で 年はいくつで名は何という 言えば子どもは涙を拭いて 私ゃ十二で弟五つ 林善太郎 弟勇 父は善吉母ちゃんお里 それに一人の婆さんがいて 一家五人で貧しいながら 仲むつまじく暮らしていたが 父は戦地に行かれたままで 未だ一度の頼りもないよ どうか様子が聞きたいものと 思う折からお役場からの 林善吉ゃ名誉の戦死 これを聞いたる私の婆は 力落として病気になりて 熱にうかされうわごとばかり そこで母親途方に暮れて 日にち毎日ただ泣くばかり わしはこうして辻占売りて 学校休みに近所の人の 使いいたしてわずかな銭を あちらこちらで恵んでもらい 聞いて将軍びっくりいたす わしは乃木じゃがお前の家へ 用があるから案内頼む 言えば子どもの申することに 勇行こうと弟連れて 急ぎ来たのが浅草田町 九尺二間の裏店住まい 家は曲がって瓦が落ちる 月はさし込む風吹き通す 見るも哀れな生活ぶりよ お待ち下さい雨戸を開けて 坊はただ今帰られました お里聞くよりにっこり笑い さぞや寒かろおあたりなさい 何のご用か知らないけれど 乃木の将軍参られました 聞いてお里はびっくりいたす 奥に寝ていた老婆も聞いて 乃木と聞いては恨めしそうに 床の中から這い出しながら 可愛い倅を殺した乃木よ たとえ恨みの一言なりと 言ってやらんと座を改める それを聞くより乃木将軍は 婆やご免と腰うちかけて 乃木というのはお前にとって どういう訳にて仇となるか 人に話してよいことなれば 一部始終を聞かしておくれ いえば老婆が申することに 聞いて下さい私の話 わしにゃ可愛い倅があって 徴兵検査に合格いたす しかも陸軍歩兵となりて 満期除隊も目出度く済んで 嫁をもらって二人の中に 可愛い孫めが二人もできて うれし喜びわずかの間 日露戦争が開かれまして 旅順港なる苦戦に向かい 決死隊にと志願をいたし 死する命は惜しまぬけれど 後へ残った二人の孫が 親の亡い子と遊んでくれぬ 坊はよけれど勇が不憫 父がこの世にあることなれば 一目なりともあわせておくれ せがむ子どもの顔見るたびに 胸に釘をば打たるる思い 金鵄勲章白木の位牌 見せて泣き出すその有様を そばで見ている私のつらさ こんなときには倅がいたら こんな苦労はさせないものと どうぞお察しくださりませと 聞いて将軍涙を拭いて わしも二人殺しておると 片手拝みに懐中よりも 金子取り出し紙にと包み これはわずかの香典なりと あげて将軍我が家へ帰る お聞き下さる皆さん方へ もっとこの先読みたいけれど 名残惜しゅうはござそうらえど まずはここらで留め置きまして ご縁あるなら またこの次だが オオイサネー 乃木将軍と辻占い売りの少年の話は、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代に用務で金沢を訪れたときの話である。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会う。今越少年は辻占いを売りながら一家の生計を支えていた。この姿に感銘を受けた希典は少年を励まし、金二円を手渡した。 今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績をあげた。 この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年に六本木六丁目の旧毛利家の池の畔に立てられたが、六本木六丁目開発のため、乃木将軍縁りの旧乃木邸に移された。 ![]() デカンショ デカンショで半年暮らす (ヨイヨイ) 後の半年寝て暮らす (ヨーイ ヨーイ デッカンショィ) 丹波ささ山 山家の猿が 花のお江戸で 芝居する 酒は飲め飲め 茶釜で沸かせ 御神酒あがらぬ 神はない 丹波ささ山 その山奥で ひとり米つく 水車 ひとり米つく その水車 誰を待つやら くるくると 信州信濃の 新蕎麦よりも 私あなたの そばがよい お茶の新芽と 二八の娘 人に揉まれて 味が出る 咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る 俺とおまえは 羽織の仲よ 固く結んで とけやせぬ 俺とおまえは 卵の仲よ 俺が白身で 君を抱く 重い体を この身にうけて ぬくにぬかれぬ 腕まくら うちの息子は 狐か狸 夜の夜中に 穴さがす 嫁にするなら うどん屋の娘 入れて温めて 汁かける ちょいっとやるなら 質屋の娘 入れたり出したり 流したり めかけにやるなら そば屋の娘 何度こねても 切れがよい 回る浮世に まわらぬお金 無理にまわせば 手がまわる 借りがあるとて 心配するな マラの根本に 金がある おそそするほど 仕事をすれば マラが立つほど 蔵が建つ 明日の天気を あそこに問えば 私空見た ことがない おそその中にも お寺がござる 目のない坊主が 出入りする 汽車の窓から チンチン出して 車掌見てくれ 汽車ちんよ そこで慌てて 車掌がきたが 余りのでかさに 釣りはない 破れふんどしゃ 将棋の駒よ 角と思たら 金がでた 年増女と お寺の鐘は 突けばつくほど うなりだす 助平女と 雨降りみのは いつも毛の先 ぬれている 山のざくろは 何見てわれる 下の松茸 見て割れる 下の松茸 何見てのびる 上のざくろを 見てのびる おつにからんだ 垣根のへちま ぶらり下がった ほどのよさ 富士の山より まさった苦労 もとは一夜の 出来心 入れておくれよ かゆくてならぬ 私一人が かやの外 可愛がられて 撫でさすられて 忘れられたか 夏火鉢 二階貸します お望みならば 下も貸します ごけじゃもの デカンショ唄えば ポリスが怒る 怒るポリスの 子が唄う なりた なりたや 風呂屋の石に おそそなめたり 眺めたり 私ひろげて あなたがさして さしつさされつ 蛇の目傘 俺が死んだら 三途の川で 鬼を集めて 相撲する イロハ イロハと習ったけれど ハの字忘れて イロばかり 朝から ボボすりゃ 朝飯くえぬ かかもその気で 飯炊かぬ 丹波笹山 山国なれど 義理と人情の 花が咲く 私は 丹波の勝栗育ち 色は黒ても 味がよい ![]() ああ金の世や 金の世や 地獄の沙汰も 金次第 笑うも金よ 泣くも金 一も二も金 三も金 親子の中を 割くも金 夫婦の縁を 切るも金 強欲非道と 譏ろうが 我利我利亡者と 譏ろうが 痛くも痒くも あるものか 金になりさえ すればよい 人の難儀や 迷惑に 遠慮していちゃ 身がたたぬ ああ金の世や 金の世や 願いは聖き 労働の 我に手足は ありながら 見えぬ鎖に 繋がれて 朝から晩まで 絶間なく こき使われて 疲れ果て 人生(ひと)の味よむ 暇もない これが自由の 動物か ああ金の世や 金の世や 牛馬に生れて 来たならば あたら頭を 下げずとも いらぬお世辞を 言わずとも 済むであろうに 人間と 生れた因果の 車引き やぶれ堤灯 股にして ふるいおののく いぢらしさ ああ金の世や 金の世や 蝋色塗の 自動車に 乗るは妾か 本妻か 何の因果ぞ 機織りは 日本に生れて 支那の米 綾や錦は 織り出せど 残らず彼等に 奪われて ボロを着るさえ ままならぬ ああ金の世や 金の世や 毒煙燃ゆる 工場の 危うき機械の 下に立ち 命を賭けて 働いて くやしや鬼に 鞭うたれ 泣く泣く求むる 糧のしろ 顔蒼ざめて 目はくぼみ 手は皆ただれ 足腐り 病むもなかなか 休まれず 聞けよ人々 一ふしを 現代の工女が 女なら 下女やお三は お姫さま ああ金の世や 金の世や 物価は高くも 月給は安い 弁当腰に下げ ボロの洋服 破れ靴 気のない顔で ポクポクと お役所通いも 苦しかろう 苦しかろうが 辛かろうが 勤めにゃ妻子の あごが干る ああ金の世や 金の世や 貧という字の あるかぎり 浜の真砂と 五右衛門は 尽きても尽きぬ 泥棒を 押さえる役目も 貧ゆえと 思えばあわれ 雪の夜も 外套一重に 身を包み 寒さに凍る サーベルの つかのま眠る 時もなく 軒端の犬を 友の身の 家には妻の 独り寝る 煎餅布団も 寒かろう ああ金の世や 金の世や 牢屋の中の とがにんは、 食うにも着るにも 眠るにも 世話も苦労も ない身体 牛や豚さえ 小屋がある 月に百両の 手当をば 受ける犬さえ あるものを 「サガッチャコワイ」よ 神の子が 掃溜などを かきまわし 橋の袂(たもと)や 軒の下 石を枕に 菰の夜具 餓えて凍えて 行き倒れ ああ金の世や 金の世や この寒空に この薄着 こらえきれない 空腹も なまじ命の あるからと 思い切っては 見たものの 年取る親や 病める妻 餓えて泣く児に すがられて 死ぬにも死なれぬ 切なさよ ああ金の世や 金の世や 神に仏に 手を合わせ おみくじなんぞを 当てにして いつまで運の 空頼み 血の汗油を 皆吸われ 頭はられて ドヤサレて これも不運と 泣き寝入り 人のよいにも 程がある ああ金の世や 金の世や 憐れな民を 救うべき 尊き教えの 田にさえも 我儘勝手の 水を引く これも何ゆえ お金ゆえ ああ浅ましき 金の世や 長兵衛宗五郎 どこにいる 大塩マルクス どこにいる ああ金の世や 金の世や 互いに血眼 皿眼 食い合い奪りあい むしり合い 敗けりゃ乞食か 泥棒か のたれ死ぬるか 土左衛門 鉄道往生 首くくり 死ぬより外に 道はない ああ金の世や 金の世や ![]()
恋歌として親しまれている「十九の春」。しかし、その旋律には、奄美、そして沖縄の島々に生きる人たちの哀しみが1世紀にわたって刻まれている。
「十九の春」のメロディーは、日露戦争の頃に生まれ全国的に流行った「ラッパ節」を源とする。その流行歌が、明治31年の大型台風で全戸壊滅という被害を受け、三池炭鉱に集団移住していた与論島の人々と出会い数奇な運命が始まる。 過酷な労働を癒す歌となったこの歌は、故郷与論に持ち帰られ新たな島唄に。そして、様々な節回しで歌われる内に「十九の春」のメロディーが生まれた。 その後、機織りの出稼ぎに出た少女や、親の借金のカタに漁師の見習いに出された少年は奉公時代の辛い想いを。戦時中、満州へ渡った開拓団の人々は、望郷の想いをこのメロディーに乗せて歌う。 更に、戦時中の奄美大島では、撃沈された貨客船の犠牲者の鎮魂歌として歌われ、アメリカ統治下の沖縄コザ市では、米兵相手の女性がこのメロディーで身の辛さを歌った。流行歌から生まれ島人の哀しみが刻まれたメロディーである。 十九の春 沖縄俗謡 補作詞:本竹裕助 1(女) 私があなたに ほれたのは ちょうど十九の 春でした いまさら離縁と 云うならば もとの十九に しておくれ 2(男) もとの十九に するならば 庭の枯木を 見てごらん 枯木に花が 咲いたなら 十九にするのも やすけれど 3(女) みすて心が あるならば 早くお知らせ 下さいね 年も若く あるうちに 思い残すな 明日の花 4(男) 一銭二銭の 葉書さえ 千里万里と 旅をする 同じ那覇市に 住みながら 逢えぬ我が身の せつなさよ 5(女) 主(ぬし)さん主さんと 呼んだとて 主さんにゃ立派な 方がある いくら主さんと 呼んだとて 一生添えない 片想い 6(男女) 奥山住まいの ウグイスは 梅の小枝で 昼寝して 春が来るような 夢をみて ホケキョホケキョと 鳴いていた えらぶ島俗謡 私があなたを 想う数 山の木の数 星の数 三千世界の 人の数 千里浜辺の 砂の数 雲の切れ間に 満ちる月 あなたはなんて 無情なの 想い願いは 幾度なく 会えぬ月日は 幾日か 五十、六十が 蕾なら 七十、八十は花盛り 私の人生 これからと 希望の花を 咲かせましょう 与論小唄(作詞:秋山紅葉) 1 枯葉みたいな 我がさだめ 何の楽しみ 無いものを 好きなあなたが あればこそ いやなこの世も 好きとなる 2 あなたあなたと 焦がれても あなたにや立派な 人がいる 今更私が 焦がれても 磯の浜辺で 泣くばかり 3 一年待て待て 二年待て 三年待つのは よいけれど 庭の草木を 見てごらん 時節変われば 色変わる 4 磯の浜辺の 波静か 二人手に手を 取りかわす 死んだらあなたの 妻ですと 女心の 悲しさよ 与論で創作された新民謡歌曲 昭和の戦前・戦後を通じて与論で創作され、器楽声楽や舞踊によって広く住民に親しまれた新民謡の主なものをあげると、次の通りである。 与論小唄 (作詞者及び作曲者不詳) ![]() 木の葉みたいなわが与論 何の楽しみないところ 好きなお方がおればこそ 嫌な与論も好きとなる 私があなたに来たときは ちょうど十九の春でした 今さら離縁というなれば もとの十九にしておくれ 十九にするのはやすけれど 庭の枯木をみてごらん 枯木に花が咲くならば 十九にするのはやすけれど 奥山住まいのうぐいすが 梅の小枝で昼寝して 花の散るような夢をみて ホケキョ ホケキョと鳴いている 咲いた桜に惣れるなよ 花はきれいが散り易い 恋をするならあの松よ 枯れて落ちるも二人づれ 花を咲かすも雨と風 花を散らすも雨と風 雨と風とがないなれば 花も咲かねば散りもせぬ 離れ小島に住めばとて 波の音開きゃ淋しいよ 沖のかもめよふるさとの うわさぐらいは知らせてね わたしばかりに思わせて あなたは柳に春の風 どこへ行くやら知らねども 捨てらりゃせぬかと気にかかる 十九の春の原曲…「与論ラッパ節」 与論ラッパ節は日露戦争の頃日本全国で流行ったヴァイオリン演歌「ラッパ節」が原曲。しかしそのラッパ節も「抜刀隊の唄」が原曲になっている。抜刀隊の唄は明治政府がフランスからよんだシャルル・ルルーが作曲したもの。ルルーは当事ヨーロッパで上演されていたオペラ「カルメン」のなかの「騎兵隊の唄」のメロディーにヒントを得てというか真似て作曲している。つまり「十九の春」の遠い祖先はカルメンだったということになる。奇しくも「十九の春」再ヒットの原因となった映画「ナビーの恋」でもカルメンの一節が歌われていた。「与論ラッパ節」「与論小唄」「十九の春」に代表されるように、国内はもとより、遠くシンガポール当たりの植民化時代まで遡ってひろがった歌でもあるらしい。現代はグローバル化と称されてもっともらしく時代が異質になってきたなどと言われるが、昔からそんなに違いはないのである。 文明国の植民地政策、貧しい国の労働流民、出稼ぎ、徴兵派兵を余儀なくされた人々の想いが託されているということではないか。 与論ラッパ節 (作詞者及び作曲者不詳) 歌の美らさやラッパ節 一つ歌いましょう ねえ あなた さては世界の果てまでも ラッパラッパで歌いましょう 月はまんまるさゆれども あなたのこころは其のやみ せめて今宵のおとずれを たより聞かせよほととぎす 貴方貴方と焦がれても あなたにゃ立派な方がある なんば私が焦がれても 磯の浜辺の片思い 私が貴方を思うのは 山の木の数 星の数 三千世界の人の数 千豊浜辺の砂の数 思うがままになるなれば 金の実る木を庭に植え 好きなあなたのひざもとで 千年万年も暮したい 親が許さぬ恋じゃとて 諦められりょかねえあなた いっそ二人は知らぬ国 難れ小島で暮そうよ 一銭五厘の葉書さえ 千里万里を便りする 同じ与論に住みながら 会えぬ心のせつなさよ 手紙出したが返事ない 生きているやら死んだやら 郵便ポストが倒れたか 港々がこわれたか 泣いて暮すも五十年 笑うて暮すも五十年 泣いて暮すも笑うのも 心一つのおきどころ 米軍魚雷で「嘉義丸」沈没 ![]() 太平洋戦争中の43年5月26日、大阪から那覇に向かう貨客船、嘉義(かぎ)丸が米軍の魚雷攻撃で奄美大島沖で沈没、幼児から老人まで321人が命を落とした。直後に犠牲者を慰める「鎮魂歌 嘉義丸の歌」が奄美で作られたが、戦中、戦後とも当局から禁止され、忘れられていった。作者の娘で島唄(うた)歌手の朝崎郁恵さん(68)が復元を試み、61年前の悲劇を歌い継いでいる。 13番まである「嘉義丸の歌」は、奄美・加計呂麻(かけろま)島の鍼灸(しんきゅう)師、朝崎辰恕さんが、生存者の福田マシさんから聞いた体験をもとに作詞・作曲した。 福田さんは15歳の長女と島へ疎開する途中で攻撃に遭い、海に投げ出された。水中から浮上した時、娘だと思って抱きしめたのは丸太だった。4時間漂流し救助されたが、娘は海中に消えた。 歩けなくなった福田さんを治療した辰恕さんは、その嘆きに心を痛めた。三味線の名手だった辰恕さんは鎮魂歌を作り、同年6月18日に島の集会場で発表した。 曲は奄美で流行したが、戦局の不利を伝えるとして歌うことを禁じられた。戦後も統治国米国への配慮から禁じられ、忘れられていった。辰恕さんも71年に亡くなった。 島を離れ、東京で暮らしていた郁恵さんは75年、ラジオから懐かしい旋律を聴いた。田端義夫がヒットさせた沖縄民謡「十九の春」。父の曲を思い出した。メロディーがよく似ていたからだ。 だが、譜面は残っていない。忘れかけていた歌詞を思い出しては書き留め、島に福田さんを訪ねて話を聞き、記憶を補い復元した。十数年前から公演で歌い、聴衆に悲劇を語りかけてきた。 郁恵さんは、くしくもCD「沖縄ソングス」(東芝EMI)に参加、「十九の春」を歌うことになった。「この偶然は嘉義丸のことを忘れてはいけないという父の声だと思う」と郁恵さん。「嘉義丸の歌」を近く自らのアルバムに収録することにした。来年5月26日には奄美で慰霊コンサートを開きたい、という。 ◇嘉義丸の歌 (抜粋) (1番) 散りゆく花はまた咲くに ときと時節が来るならば 死に逝く人は帰り来ず 浮き世のうちが花なのよ (5番) ああ憎らしや憎らしや 敵の戦艦魚雷艇 打出す魚雷の一弾が 嘉義丸船尾に突き当たる (6番) 親は子を呼び子は親を 船内くまなく騒ぎ出す 救命器具を着る間なく 浸水深く沈みゆく (9番) 波間に響く声と声 共に励まし呼び合えど 助けの船の遅くして 消えゆく命のはかなさよ ●沖縄ソングス~わしたうた 2004年の5月26日に「沖縄ソングス~わしたうた」というCDが発売になりました.制作を手がけた東芝EMIの和田弥一郎プロデューサーは,最初の曲「十九の春」の歌い手を探していて島唄の名手・朝崎郁恵さんに出会います.そして不思議な話を聞きます.朝崎さんの父親・辰恕さんが作詞作曲した曲と,この「十九の春」のメロディーがそっくりだということ,朝崎郁恵さん自身はかつて上京した時に当時田端義夫が歌い流行していた「十九の春」を懐かしい思いで聴いていたということ.朝崎辰恕さんのその曲を聴いた和田氏は「十九の春」と同じ曲だと確信します.長いあいだ作者不明とされていた流行歌の作曲者が60年の歳月を経て判明したのです. 曲の名は「嘉義丸の歌」.加計呂麻島で鍼灸師をしていた朝崎辰恕さんが,沈没した嘉義丸の生存者を治療しながら作詞・作曲し,島の集会所で発表したものでした.戦時下でもありこの歌はすぐに禁止されますが,曲は人々の記憶に深く浸透し密かに歌い継がれ,戦後「十九の春」という歌謡曲になってヒットしたのです. ●消えゆく命のはかなさよ 大阪商船「嘉義丸」は明治40年に完成後、大連航路に就航しました。日露戦争が終わり日本人の大陸進出熱が拡大していく時代を見つめつづけます。昭和4年にモスクワからウラジオストックをつなぐシベリア鉄道の国際列車が週2便に増えると、日本・ウラジオストック間唯一の連絡航路であった敦賀・浦塩(ウラジオ)線は活況を呈します。当時の記録などを見るとヨーロッパだけでなくアメリカからの帰国者もこのルートを利用していたことがわかります。昭和4年暮の晦日に敦賀に入港した嘉義丸船客の土産話を伝える新聞記事は、石川島造船所が派遣した技師のアメリカ談義を伝えています。「デトロイト郊外などは乗りすてた自動車の残骸が山を成している。」他にもドイツの航空技術を語る将校、医学学会から戻った東大教授の談話などが紙面を賑わせました。嘉義丸は船客だけでなく、当時まだ少なかった「欧米からの情報」をもたらしたのです。 昭和8年から嘉義丸は沖縄線に就航します。そして日本はGMやフォードの廃車が山を成しているという,殆どの日本人には想像を絶する程の国力を誇った相手に宣戦を布告したのです。嘉義丸は昭和18年5月、鹿児島から沖縄に向かう途中で雷撃され沈みます。約500名の船客の多くは民間人でした。そのうち321人が亡くなります。15歳の長女と乗船していた福田マシさんは海に投げ出された時、娘だと思って抱きしめたのは丸太だったと語っています。この福田さんを治療したのが朝崎辰恕さんであり、その悲痛な思いに鎮魂の念を託したのが「嘉義丸の歌」でした。 親は子を呼び子は親を 船内くまなく騒ぎ出す 救命器具を着る間なく 浸水深く沈みゆく 波間に響く声と声 共に励まし呼び合えど 助けの船の遅くして 消えゆく命のはかなさよ これが嘉義丸が沈み行く光景です。曲は残りましたが、戦時下で歌うことを禁じられた歌詞は人々に忘れ去られていったのです。嘉義丸が沈没したのは昭和18年5月26日、「沖縄ソングス~わしたうた」発売のちょうど61年前の同じ日のことでした。 「モトシンカカランヌー」上映会 ◇69-71年 沖繩エロス外伝「モトシンカカランヌー」 □製作:N.D.U./1971年/16mm/87分/ □返還前の沖縄に密航し、娼婦ややくざ・日本からの労組や観光客を取材。 ◇布川徹郎さん(映像監督/同フィルム監督)とのトークセッション ・沖縄「復帰その時」と「現在いま」を問う。 2001/5/14/那覇市若狭公民館 主催/「モトシンカカランヌー」を上映する会 協力/ほげほげ企画 シナリオ抄 アケミ(売春婦)「モトシンカカランヌー、ホーレみやちゅばて? 吉原(※コザ)とか、あんなところで、あれする、オマンコさせる人、これでしょ?」 「あんたたちゃ、日本から来た時に、吉原に行ったでしょ、ひゃーすけべえ…」 「(初体験は)ゴーカン、こわくてよや、終ってからさ、おなかばかり押してから、にんしんしたらいかんて、 …あの時、わらばぁ(子供)だったから、中学二年生!ファックユー、シャーラップ!」 「シューガーヒンガー、ぬうがわんさあみい(何んで私が悪いの)?」 「なんで人を売春、売春っていうね、シャラップヒヤ!」 (ME)アケミのテーマ(※『十九の春』) みすてられても私(わたくし)は あなたの未練は のこさせぬ 歳も若くあるうちに 未練のこすな あすの花 一セン二センの 葉書さえ 千里万里の 便りする 同じ部落に住みながら あえない 私の身のつらさ… 老婆「明治治22年生れだからね、いれずみして女みたいにやっているからさ…、これをいれなければね、あの女の権利じゃないと、…私達後からは、警察が取締りてるから、いれなかったのよ。私が一番終りでね。…入れたからしょうがないでしょ。しかられたって。」 「ずっと、宮古の、沖縄のあれでしょ、ずっと昔からのならわしでしょ。…20に嫁にいってね、26、7には、台湾に行ってね、二年あまりいたのよ。それからもう、主人は東京に行くし、これがあるからさ、もう、…沖縄の子供だって、今の子はみんな、そう思うから、あや、手に絵かいてあるって、自分のハンカチで、ふいて、おとそうと、…東京では、ほんとうやりきれないよ…、つらいことよ…これは(笑)」 「昔の人だから、昔がよかったでしょ。(笑)それしか、考えられないよ。どうなったってかまわないさ、生きてるときは、ちょうど、こっちへ来て、のんびりして、よろこんで、ほんとにもう、何んにも考えないで、だけれど、これがあるから、もしや、もしや、私が死んだら、沖縄人だ、沖縄の者だ、いれずみを見たらわかるでしょ、もう、いろんなこと、考えたよ。さんざん。さんざん。だけれども、済んだんだから、もういいよ、私は(笑)」 夜の街頭、歩道のすみで唄う男 (ME) 唐ぬ世から 大和ぬ世 大和ぬ世から アメリカ世 ひるまさ変たる くぬうちなー 那覇の市場、闇ドル換えのおばさんたち 「そりゃあんた、日本とアメリカさんのおかげさ」 総評旅行団の来沖 「沖縄を返せ!沖縄を返せ!(シュプレヒコール)」 -「今回の目的は?」 「沖縄祖国復帰、沖縄返還ですね。それから、基地撤去ですね。」 -「コザに吉原という街があるのをご存じでしたか。」 「御存じじゃないです。私達は、まあ売春は反対です。」 「(終戦前に)(お買いに)なりましたです。はい。」 「本土と同じような、松島とか、飛田(大阪)、吉原(東京)…、やっぱり、沖縄の吉原というところが、一番安全らしいですわ。」 「あんた沖縄へ来た目的やて。」 「観光プラス沖縄を肌で感じてくるいうの、そういうの。神戸のほうで沖縄を肌で感じてきてほしいって言われたの。」 -「コザの吉原は、御存じですか。」 「一寸見た。軍人と肩組んで歩いている人。感覚的に嫌な感じがします。」 「やっぱりなんて言うのかな、いややね。」 「結局いやや。」(笑う) -「あなたたち自身と売春婦たちとの決定的な違いとは?」 「ああいうひとたちはね、目先の現実に適応して生きなければならないっていう、私達は、それやったらいかんのちがうっていう、批判的な目ね。人間としては、いっしょだとおもいますよ。動物的な扱いとか、屈辱的な扱い受けているのは、不幸だと思います。」 「バスツアーのときにね、それから戦跡を見学させていただいたときと、それから基地をね、やっぱり、沖縄は私達の土地だのにこんなことではいけないと、やはり沖縄の人はね、私達と同じ大和民族だのにね、苦労しておられると、本国へ帰ったら報告したいと思いました。」 -「沖縄にはいわゆる売春防止法というのがないんです。」 「あ、ない、ない」 -「お買いになりましたか。」 「買いました。…20ドル…。このへんのひとは、そういうこと(金銭のこと)を意識してないね。」 「それとぼくら、遊びに行きましてもね、ある…組合の…幹部いう形でやってるんですね。ですから、ひとつの勉強の意味にも、遊びだけじゃなしに、話いうのは、沖縄返還ということの話題を主にやりました。」 「やはり、そういうひとたちも…、それでぼくらも…」「もっといいこと聞いてくれたらいいのに。」 ヘルメット姿の一団 「共同声明を…、欺瞞に満ちた共同声明であり…、日本の国防の第一線として、沖縄が犠牲にされ、さらに平和条約を…、諸国にとって、戦争は涙であり、たくさんの血を流すことであり、私達の平和な生活を…、それはまた多くの未亡人を、孤児を…」 角材・火炎ビン・炎上する派出所・燃え上がる路上 夜の吉原の街頭 「あたしたちは、商売だから、お金とってしまえばそれでいいとおもうの。半時間が10ドルさ。20ドルあげるひともいるさ。なじみとか、そんな…。」 「ほら、ペイデイとか、あんな時はべつ、最低20人くらいね。」 「仕事さあね。たとえばね、だれでも仕事すれば、真剣になってするでしょ、それと同じさ。」 「誰しもすきこのんでこういう仕事やったわけじゃないからさ。だけど、落ちたのは最初、自分から、そういうことに落ちなければ、こういうことにもならずに済んだのにねえって、後悔するときもある。なった以上は、取り返しのつかんことさね。」 -「何が悪いんだと思う。」 「ま、男がいるから悪いんじゃない?」 「買う男も、売る男も悪い。」 「(いやな思い出?)一杯あるよ。あまり過去が醜くていえない、人に。」 -「復帰っていえばさ、正しいことのように思うけど…」 「まあ、復帰すればさ、幾分かはよくなる方面もあるかもしれないよ。だけど、悪くなるところもあるわけさ。ほら、軍に働いている人なんかさ、…」 -「本土と沖縄とどっちが好き?」 「やっぱり、本土の方が好き。ほら、知識というの、あんなの養えるわけさ。…サラリーマンは好かん。」 -「大学の教授なんかは?」 「ま、いいでしょ。」 (ME)『ストトン節』 四つ、夜中に起こされて 五つ、いやとはいえません ストトン、ストトン 六つ、むりやりさしこまれ 七つ、泣いたり笑ったり 八つ、やられた後からは 九つ、子供ができたのよ ストトン、ストトン 十で、とうとうできました 男の子なら 東大へ 女の子なら 吉原へ それで親子は楽するね ストトン、ストトン (ME)『暴力団小唄』 コザの吉原 横丁で 一人さびしく なげいてる 酒飲んで くだまいているけれど おいら純情グレン隊 あああ なぜかしら せつなき わがこころ コジャの暴力団(ぼーりょくらん) 花の都の 想い出は ズベ公と遊んだ 中の町 俺だって まじめになりたいよ 可愛い あの娘のためだもの あああ なぜかしら 悲しき わがこころ コジャの流れもん (ME)『ホーミミ演歌』 吉原横丁で あいうえお 一発兄さん ホーせんか チャンチャン ホーミミ ホーミミ さしすせそ 兄さんチンポはたちつてと … 全軍労首切り撤回闘争 上原委員長「まさしく、20有余年にわたって沖縄を軍事的植民地支配の中で就職のできる場所を作らないように、軍事優先制作の中でやってきた。この沖縄の矛盾が、佐藤・ニクソン会談によって、72年返還というごまかしの中で…基地労働者の生首を切っておきながら、沖縄を今日の状態に追い込んでおきながら、なお沖縄県民を甘やかすなんていう本土の首脳部がいる、その抗議を含めてのスト…」 -「軍以外の職場について考えますか?」 組合員「前は考えていたんですよね。もう今は後回しだ。この戦いに勝つのが復帰してもね、勝ち残るんだ。」 「結局は、我々自体で戦う以外にないと、沖縄県民はぼろ布ではない!ちり紙でもない!」 「Aサイン業者と、暴力団が殴り込みをかけてきますので、スト破りがありますので…」 「それで顔向けができるのか!祖先に対して、自分らの祖先が築いた…帰えんなさい!やせても枯れても男になろうじゃないか…みんな首がかかっているんだ(※ピケ破りに対して)」 ピケ隊員、琉球警察機動隊・沖縄人ガード・銃を装備した米兵の隊列の中へ殴り込む。カービン銃を持った米兵が前列に出てくる。後ろに迷彩服の戦闘服姿の米兵 屋ヶ名・園田のエイサー、全島エイサー、 黒人暴動(1969年8月31日、コザ照屋地区) 屋ヶ名大綱引き(性器をかたどった大綱を結合させ引き合う祭り) 娼婦たちの映像 (ME)アケミのテーマ(『十九の春』) おくやま育ちの うぐいすは 梅の小枝で 昼寝する 春が来るよな夢を見て ほけきょほけきょと ないてます… はっちゃん はっちゃんと言うたとて はっちゃんにゃ 大事な人がある 白菊御紋の 花よりも まだまだ大事な 方がある と唄われたのはつい六十年前のことである。
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向こう通るは女学生 三人並んだその中で 一番のビューティが 気にかかる 色はホワイト目はパチリ 口もとほんのり紅染めて あふれるばかりの愛らしさ マイネフラウになるなれば 僕もこれから勉強して ロンドン・パリーとまたにかけ フィラデルフィラの大学を 首席で卒業した時にゃ かわいいあの娘は 人の妻 あぁ残念だ 残念だ 残念だったら また探そ ![]() 2 向こう通るは女学生 三人並んだその中で 一番のブスケが気にくわぬ 色はブラック目はぎょろり 口もとだらりとぶら下げて あふれるばかりのいやらしさ マイネフラウになるなれば 僕もこれからドロボーして 網走渡世をまたにかけ 五年、十年、また五年 やっと刑務所出たときにゃ やっぱりあの娘は待っていた あぁ残念だ 残念だ 残念だったら また入ろ # by 55kara | 2006-02-01 23:18
曽根崎心中 道行文
この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽と響くなり 鐘ばかりかは 草も木も 空もなごりと見上ぐれば 雲心なき水の音 北斗は冴えて影映る 星の妹背の天の川 梅田の橋を鵲の橋と契りて いつまでも 我とそなたは婦夫星 かならず添うと縋り寄り 二人がなかに降る涙 川の水嵩も増さるべし 冥途の飛脚 道行文 翠帳紅閨に 枕並べし閨の内 馴れし衾の夜すがらも 四つ門の跡夢もなし さるにても我が夫の 秋より先に必ずと あだし情の世を頼み 人を頼みの綱切れて 夜半の中戸も引き替へて 人目の関にせかれ行く 昨日のままの鬢つきや 髪の髷目(わげめ)のほつれたを わげて進じよと櫛を取り、手さへ涙に凍ゑつき 冷えたる足を太股に 相合炬燵、相輿の 駕籠の息杖生きてまだ 続く命が不思議ぞと 二人が涙 河堀(こぼれ)口 心中天の網島 道行文 ![]() 頃は十月十五夜の 月にも見へぬ身の上は 心の闇のしるしかや 今置く霜は明日消ゆる はかなく譬えのそれよりも 先に消え行く 閨の内 いとしかはひと締めて寝し 移り香も なんとながれの蜆川 西に見て 朝夕渡るこの橋の 天神橋はその昔 菅丞相と申せし時 筑紫へ流され給ひしに 君を慕ひて大宰府へ たった一飛び梅田橋 あと追ひ松の緑橋 別れを嘆き 悲しみて 後にこがるる桜橋 今に話を聞渡る 一首の歌の御威徳 かかる尊きあら神の 氏子と生れし身をもちて そなたを殺し 我も死ぬ 北へあゆめば 我が宿を一目に見るも見返らず 子供の行方 女房の あはれも胸に押し包み 南へ渡る橋柱 越ゆれば到る彼の岸の 玉の台に乗りをへて 仏の姿に身の成橋 衆生済度がままならば 流れの人の此の後は 絶えて心中せぬやうに 守り度いぞと 及び無き 願いも世上のよまい言 元禄16年(1703)4月7日、大阪の曽根崎・露(つゆ)天神の森で心中事件が起こる。添い遂げられぬと知った堂島新地の遊女・お初と醤油屋の手代・徳兵衛が死んだ。 この心中事件は、すぐさま歌舞伎の世話狂言に仕立てられて、京都で舞台にかけられた。その事件からちょうど一月後の元禄16年(1703)5月7日。かの有名な近松門左衛門の人形浄瑠璃大ヒット作「曽根崎心中」がここに誕生することとなる。 当時の「今昔操年代記」という本は「そねざき心中と外題を出しければ、町中よろこび、入るほどにけるほどに、木戸も芝居もえいとうとう、こしらへに物は入らず~」と書き、興行側の発想と工夫で、興行が大当たりしたことを伝えている。 近松の巧みな文句は浄瑠璃太夫の語りに乗って、鮮やかなイメージを浮かび上がらせ、語りが生む現実世界がありありと眼前に広がるような見事なできだった。その優れた名文の最たるものが、「お初・徳兵衛」道行の文章である。 「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなりー」 二人が手に手をとって死出の旅に向かう冒頭の部分。七五調の名調子は、いわゆる「みちゆき道行」といわれるものだが、情緒的な感覚がみなぎっている。江戸時代の太田南畝(蜀山人)が書いた随筆「俗耳鼓吹」には、当時の有名な儒者・荻生徂徠がこの文章を読んで「七つの時が六つ鳴りて~」のくだりまで来た時、「妙処此中にあり、外は是にて推しはかるべし」と絶賛したと書いている。以後、名文の代表といえば「曽根崎心中」の道行文といわれるくらい有名な文章になった。 ![]() # by 55kara | 2006-02-01 19:29
![]() 一、 汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ 混濁(こんだく)の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く 二、 権門(けんもん)上(かみ)に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし 三、 ああ人栄え国亡ぶ 盲(めしい)たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり 四、 昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫(ますらお)が 胸裡(きょうり)百万兵足りて 散るや万朶(ばんだ)の桜花 五、 古びし死骸(むくろ)乗り越えて 雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ 国を憂いて立つからは 丈夫の歌なからめや 六、 天の怒りか地の声か そもただならぬ響あり 民永劫(えいごう)の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ 七、 見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫(おたけ)びて 革新の機(とき)到りぬと 吹くや日本の夕嵐 八、 ああうらぶれし天地(あめつち)の 迷いの道を人はゆく 栄華を誇る塵の世に 誰(た)が高楼の眺めぞや 九、 功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう 十、 やめよ離騒(りそう)の一悲曲 悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ われらが剣(つるぎ)今こそは 廓清(かくせい)の血に躍るかな ![]() 一 祁山(きざん)悲秋の 風更けて 陣雲暗し 五丈原(ごじょうげん) 零露(れいろ)の文(あや)は 繁くして 草枯れ馬は 肥ゆれども 蜀軍の旗 光無く 鼓角(こかく)の音も 今しづか 丞相(じょうしょう)病い あつかりき 清渭(せいい)の流れ 水やせて むせぶ非情の 秋の聲 夜(よ)は關山(かんざん)の 風泣いて 暗に迷ふか かりがねは 令風霜の 威もすごく 守る諸營(とりで)の 垣の外 丞相病い あつかりき 帳中(ちょうちゅう)眠りかすかにて 短檠(たんけい)光 薄ければ こゝにも見ゆる 秋の色 銀甲(ぎんこう)堅く よろへども 見よや待衞(じえい)の 面影に 無限の愁い 溢るゝを 丞相病い あつかりき 風塵遠し 三尺の 劍(つるぎ)は光 曇らねど 秋に傷めば 松柏(しょうはく)の 色もおのづと うつろふを 漢騎十萬 今さらに 見るや故郷の 夢いかに 丞相病い あつかりき 夢寐(むび)に忘れぬ 君王の いまわの御(み)こと 畏みて 心を焦がし 身をつくす 暴露のつとめ 幾とせか 今落葉(らくよう)の 雨の音 大樹(たいき)ひとたび 倒れなば 漢室の運 はたいかに 丞相病い あつかりき 四海の波瀾 收まらで 民は苦み 天は泣き いつかは見なん 太平の 心のどけき 春の夢 群雄立ちて ことごとく 中原(ちゅうげん)鹿(しか)を 爭ふも たれか王者の 師を學ぶ 丞相病い あつかりき 末は黄河の 水濁る 三代の源(げん) 遠くして 伊周(いしゅう)の跡は 今いづこ 道は衰へ 文(ふみ)弊れ 管仲(かんちゅう)去りて 九百年 樂毅(がっき)滅びて 四百年 誰か王者の 治(ち)を思ふ 丞相病い あつかりき 二 嗚呼南陽の 舊草廬(きゅうそうろ) 二十餘年の いにしえの 夢はたいかに 安かりし 光を包み 香をかくし 隴畝(ろうほ)に民と 交われば 王佐の才に 富める身も たゞ一曲の 梁父吟(りょうほぎん) 閑雲(かんうん)野鶴(やかく) 空(そら)濶(ひろ)く 風に嘯(うそぶ)く 身はひとり 月を湖上に 碎(くだ)きては ゆくへ波間の 舟ひと葉 ゆふべ暮鐘(ぼしょう)に 誘はれて 訪ふは山寺(さんじ)の 松の影 江山(こうざん)さむる あけぼのゝ 雪に驢(ろ)を驅(か)る 道の上 寒梅痩せて 春早み 幽林(ゆうりん)風を 穿(うが)つとき 伴(とも)は野鳥の 暮の歌 紫雲たなびく 洞(ほら)の中 誰そや棊局(ききょく)の 友の身は 其(その)隆中(りゅうちゅう)の 別天地 空のあなたを 眺むれば 大盜(たいとう)競(き)ほひ はびこりて あらびて榮華 さながらに 風の枯葉(こよう)を 掃(はら)ふごと 治亂興亡 おもほへば 世は一局の 棊(き)なりけり 其(その)世を治め 世を救ふ 經綸(けいりん)胸に 溢るれど 榮利を俗に 求めねば 岡も臥龍(がりょう)の 名を負ひつ 亂れし世にも 花は咲き 花また散りて 春秋(しゅんじゅう)の 遷(うつ)りはこゝに 二十七 高眠遂に 永からず 信義四海に 溢れたる 君が三たびの 音づれを 背(そむ)きはてめや 知己の恩 羽扇(うせん)綸巾(かんきん) 風輕(かろ)き 姿は替へで 立ちいづる 草廬あしたの ぬしやたれ 古琴(こきん)の友よ さらばいざ 曉(あけぼの)たむる 西窓の 殘月の影よ さらばいざ 白鶴(はっかく)歸れ 嶺の松 蒼猿(そうえん)眠れ 谷の橋 岡も替へよや 臥龍の名 草廬あしたの ぬしもなし 成算胸に 藏(おさま)りて 乾坤こゝに 一局棊(いっきょくき) たゞ掌上(しょうじょう)に 指すがごと 三分の計 はや成れば 見よ九天の 雲は垂れ 四海の水は 皆立(たち)て 蛟龍飛びぬ 淵の外 三 英才雲と 群がれる 世も千仭(せんじん)の 鳳(ほう)高く 翔(か)くる雲井の 伴や誰そ 東(ひがし)新野(しんや)の 夏の草 南(みなみ)瀘水(ろすい)の 秋の波 戎馬(じゅうば)關山(かんざん) いくとせか 風塵暗き ただなかに たてしいさをの 數いかに 江陵去りて 行先は 武昌夏口の 秋の陣 一葉(いちよう)輕く 棹さして 三寸の舌 呉に説けば 見よ大江の 風狂ひ 焔(ほのお)亂れて 姦雄の 雄圖(ゆうと)碎けぬ 波あらく 劔閣(けんかく)天に そび入りて あらしは叫び 雲は散り 金鼓(きんこ)震(ふる)ひて 十萬の 雄師は圍(かこ)む 成都城 漢中尋(つい)で 陷(おちい)りて 三分の基(もと) はや固し 定軍山の 霧は晴れ 汚陽(べんよう)の渡り 月は澄み 赤符(せきふ)再び 世に出(い)でゝ 興(おこ)るべかりし 漢の運 天か股肱の 命(めい)盡きて 襄陽遂に 守りなく 玉泉山(ぎょくせんざん)の 夕まぐれ 恨みは長し 雲の色 中原北に 眺むれば 冕旒(べんりゅう)塵に 汚されて 炎精(えんせい)あはれ 色も無し さらば漢家の 一宗派(いちそうは) わが君王を いただきて 踏ませまつらむ 九五(きゅうご)の位(い) 天の暦數 こゝにつぐ 時建安の 二十六 景星(けいせい)照りて 錦江(きんこう)の 流に泛(うか)ぶ 花の影 花とこしへの 春ならじ 夏の火峯(かほう)の 雲落ちて 御林(ぎょりん)の陣を 焚(や)き掃ふ 四十餘營の あといづこ、 雲雨(うんう)荒臺(こうだい) 夢ならず 巫山(ふざん)のかたへ 秋寒く 名も白帝の 城のうち 龍駕(りょうが)駐(とどま)る いつまでか その三峽の 道遠き 永安宮(えいあんきゅう)の 夜の雨 泣いて聞きけむ 龍榻(りょうとう)に 君がいまわの みことのり 忍べば遠き いにしえの 三顧の知遇 またこゝに 重ねて篤き 君の恩 諸王に父と 拜(はい)されし 思(おもい)やいかに 其(その)宵(よい)の 邊塞(へんさい)遠く 雲分けて 瘴烟(しょうえん)蠻雨(ばんう) ものすごき 不毛の郷(きょう)に 攻め入れば 暗し瀘水(ろすい)の 夜半(よわ)の月 妙算世にも 比(たぐい)なき 智仁を兼ぬる ほこさきに 南蠻いくたび 驚きて 君を崇(あが)めし 「神なり」と 四 南方すでに 定まりて 兵は精(くわ)しく 糧(かて)は足る 君王の志 うけつぎて 姦(かん)を攘(はら)はん 時は今 江漢(こうかん)常武(じょうぶ) いにしへの ためしを今に こゝに見る 建興五年 あけの空 日は暖かに 大旗(おおはた)の 龍蛇(りょうだ)も動く 春の雲 馬は嘶(いなな)き 人勇む 三軍の師を 隨へて 中原北に うち上る 六たび祁山の 嶺の上 風雲動き 旗かへり 天地もどよむ 漢の軍 偏師節度を 誤れる 街亭の敗(はい) 何かある 鯨鯢(げいげい)吼(ほ)えて 波怒り あらし狂うて 草伏せば 王師十萬 秋高く 武都(ぶと)陰平(いんぺい)を 平げて 立てり渭南の 岸の上 拒(ふせ)ぐはたそや 敵の軍 かれ中原の 一奇才 韜略(とうりゃく)深く 密ながら 君に向はん すべぞなき 納めも受けむ 贈られし 素衣巾幗(そいきんかく)の あなどりも 陣を堅うし 手を束(つか)ね 魏軍守りて 打ち出でず 鴻業果(はた)し 收むべき その時天は 貸さずして 出師(すいし)なかばに 君病みぬ 三顧の遠い むかしより 夢寐に忘れぬ 君の恩 答て盡す まごゝろを 示すか吐ける 紅血(くれない)は 建興の十三 秋なかば 丞相病い 篤かりき 五 魏軍の營(えい)も 音絶て 夜(よ)は靜かなり 五丈原 たゝずと思ふ 今のまも 丹心(たんしん)國を 忘られず 病いを扶(たす)け 身を起し 臥帳(がちょう)掲げて 立ちいづる 夜半の大空 雲もなし 刀斗(ちょうと)聲無く 露落ちて 旌旗(せいき)は寒し 風清し 三軍ひとしく 聲呑みて つゝしみ迎ふ 大軍師 羽扇綸巾(うせんかんきん) 膚(はだ)寒み おもわやつれし 病める身を 知るや情(なさけ)の 小夜(さよ)あらし 諸壘あまねく 經(へ)廻(めぐ)りて 輪車(りんしゃ)靜かに きしり行く 星斗(せいと)は開く 天の陣 山河はつらぬ 地の營所(えいしょ) つるぎは光り 影冴えて 結ぶに似たり 夜半の霜 嗚呼陣頭に あらわれて 敵とまた見ん 時やいつ 祁山の嶺(みね)に 長驅(ちょうく)して 心は勇む 風の前 王師たゞちに 北をさし 馬に河洛に 飲まさむと 願ひしそれも あだなりや 胸裏(きょうり)百萬 兵はあり 帳下三千 將足るも 彼れはた時を いかにせん 六 成敗遂に 天の命 事あらかじめ 圖(はか)られず 舊都(きゅうと)再び 駕(が)を迎へ 麟臺(りんだい)永く 名を傳ふ 春玉樓(ぎょくろう)の 花の色 いさをし成りて 南陽に 琴書(きんしょ)をまたも 友とせむ 望みは遂に 空(むな)しきか 君恩(くんおん)酬(むく)ふ 身の一死 今更我を 惜しまねど 行末いかに 漢の運 過ぎしを忍び 後(のち)計る 無限の思い 無限の情(じょう) 南成都(せいと)の 空いづこ 玉壘(ぎょくるい)今は 秋更けて 錦江の水 痩せぬべく 鐵馬(てつば)あらしに 嘶きて 劔關の雲 睡(ねぶ)るべく 明主の知遇 身に受けて 三顧の恩に ゆくりなく 立ちも出でけむ 舊草廬 嗚呼鳳(ほう)遂に 衰へて 今に楚狂(そきょう)の 歌もあれ 人生意氣に 感じては 成否をたれか あげつらふ 成否をたれか あげつらふ 一死盡くしゝ 身の誠 仰げば銀河 影冴えて 無數の星斗 光濃し 照すやいなや 英雄の 苦心孤忠の 胸ひとつ 其(その)壯烈に 感じては 鬼神も哭かむ 秋の風 七 鬼神も哭かむ 秋の風 行(ゆき)て渭水の 岸の上 夫の殘柳(ざんりゅう)の 恨み訪(と)へ 劫初(ごうしょ)このかた 絶えまなき 無限のあらし 吹(ふき)過ぎて 野は一叢(いっそう)の 露深く 世は北邱(ほくぼう)の 墓高く 蘭(らん)は碎けぬ 露のもと 桂(かつら)は折れぬ 霜の前 霞(かすみ)に包む 花の色 蜂蝶(ほうちょう)睡(ねむ)る 草の蔭 色もにほひも 消(きえ)去りて 有情(うじょう)も同じ 世々の秋 群雄次第に 凋落し 雄圖(ゆうと)は鴻(こう)の 去るに似て 山河幾とせ 秋の色 榮華盛衰 ことごとく むなしき空に 消え行けば 世は一場(いちじょう)の 春の夢 撃たるゝものも 撃つものも 今更こゝに 見かえれば 共に夕(ゆうべ)の 嶺の雲 風に亂れて 散るがごと、 蠻觸(ばんしょく)二邦 角の上 蝸牛の譬 おもほへば 世ゝの姿は これなりき 金棺灰を 葬りて 魚水の契り 君王も 今泉臺(せんだい)の 夜の客 中原北を 眺むれば 銅雀臺(どうじゃくだい)の 春の月 今は雲間の よその影 大江(たいこう)の南 建業の 花の盛も いつまでか 五虎の將軍 今いづこ 神機(しんき)きほひし 江南の かれも英才 いまいづこ 北の渭水の 岸守る 仲達(ちゅうたつ)かれも いつまでか 聞けば魏軍の 夜半の陣 一曲遠し 悲茄(ひか)の聲 更に碧(みどり)の 空の上 靜かにてらす 星の色 かすけき光 眺むれば 神祕は深し 無象(むしょう)の世 あはれ無限の 大うみに 溶くるうたかた 其(その)はては いかなる岸に 泛(うか)ぶらむ 千仭暗し わだつみの 底の白玉 誰か得む 幽渺境(さかい) 窮(きわ)みなし 鬼神のあとを 誰か見む 嗚呼五丈原 秋の夜半 あらしは叫び 露は泣き 銀漢(ぎんかん)清く 星高く 神祕の色に つゝまれて 天地微かに 光るとき 無量の思 齎(もた)らして 「無限の淵」に 立てる見よ 功名いづれ 夢のあと 消えざるものは たゞ誠 心を盡し 身を致し 成否を天に 委(ゆだ)ねては 魂遠く 離れゆく 高き尊き たぐいなき 「悲運」を君よ 天に謝せ 青史の照らし 見るところ 管仲樂毅 たそや彼 伊呂の伯仲 眺むれば 「萬古の霄(そら)の 一羽毛」 千仭翔(かく)る 鳳(ほう)の影 草廬にありて 龍と臥し 四海に出でゝ 龍と飛ぶ 千載の末 今も尚 名はかんばしき 諸葛亮 ![]() この詩は、三国誌で有名な諸葛孔明が野に下って雌伏していたときに、劉備から「三顧の礼」をもって軍師にに迎えられ、漢室の再興を計り、後、丞相(総理大臣)の地位についたが、任半ばで病没するまでの孔明の生涯を詠み上げた、日本の詩壇では類を見ない壮大な歴史叙事詩である。 土井晩翠は明治4年に仙台で生まれた。第二高等学校を経て東京大学で英文学を専攻し、 明治30年に卒業した。明治32年には彼の詩壇における地位を決定づけた詩集「天地有情」が上梓され、島崎藤村や国木田独歩とともに日本近代詩の創設者となったのである。 しかし、「晩翠調」とも言うべき彼の詩の特徴をなす題材、語彙、声調は、その後日本詩壇を襲った欧米詩の流れに後れをとり、彼の名声はたちまち衰え、彼の詩の影響は僅かに旧制高等学校の寮歌に残るのみとなったのである。彼の詩集は、今日書店の店頭はおろか、地方図書館でも入手・閲覧が困難である。
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